美人 | はんなり時間

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好きなものについて。
本と、京都と、食と、cafeと、海と、旅と、沖縄と、家族とかについて。


いやはやお久しぶりです。
どうもこんばんは。
どうもどうも。
今日からまた50音blog再開いたしますよろしくお願い申し上げますかしこ。


さて。


よく「人を見た目で判断してはいけない」というようなことを言いますが、
基本的にわたしは、
「人となりは顔に表れる」
と思っています。


この前Twitterで、
中学生の頃のエピソードみたいなのが盛り上がりをみせていて、
我が校のヤンキー事情みたいなのがたくさん寄せられていました。


それを読みながら私が思い出したのは、
「中学校における勉強ができるというとへの評価の低さ」です。
これ、うちの中学校はかなり顕著やった。
女子はそうでもないんやけど男子がね。
もうひどかった。


つまりヤンキー界において、
「勉強できること」は、
「かっこ悪いこと」
なのです。


だから頭がそこそこよかったのに、
わざと悪い点数とってる男子とかいたの。
こういうのをあほじゃなくてバカって言うんだ。


「勉強ができること」ですらそうなんやから、
「勉強をすること」への風当たりといったらそりゃもうなかなかの厳しいものがありました。


テスト前でもなんでも、
勉強することっていうのはダサいことやったのです。
いやほんとうに。


いやそういう環境はそれはそれで楽しかったけどね!
根はいいヤンキーばっかりやったし。
いやヤンキーじゃないか。


そういう中学校で育った私が、
進学校である女子校へいったとき衝撃やったのが、
勉強のできる美人がいっぱいいる。。。!!
ということでした。


だって、
ギャルの友達に、
(校則がちょうゆるかったからギャルがいっぱいいた)
「テストやばいー。勉強したー?」
って聞いたら、
「うん、したよ♡ヨユー♡」
って答えが返ってきたもんね。
衝撃を受けたよ私は。
なにこの答えかっこよすぎる。


私は「努力」という言葉は個人的にはあまり好きではなくて、
頑張る姿というのは人には見せるもんじゃないと思ってるんやけど、
それでも高校の友人たちの、
なんていうのかな、
あほで変わり者でお調子者で、
それでいて人間くさくて根がまじめで、
好きなことにはとことんひたむきでがんばりやさんなところに、
今でもすごくいい刺激をうけます。
結局そういう内面は
自信につながるし、
思い上がりでない自信は、女性を美しくすると思う。


そしてそういうのを決して押し付けるわけじゃなくて、
色んな性格も生き方もちゃんと受け入れてる感じが、
今もほんとうに心地いいのです。


高校のとき、休み時間って、
テスト前でやばいなーと思ったら休み時間でも勉強してたし、
読みかけの本があるときは脇目もふらず読みふけってたし、
眠いときは爆睡してたし、
恋してるときは(常にしてたけど)友達と恋バナしまくってた。
なんだかんだ周りの目を気にする私が、
好き勝手過ごしたのって、
けっこうすごいことやったなあと思う。
それくらいあの高校は、
私にとって居心地の良い場所でした。
何をしてても、どういう価値観も、受け入れられる空気があった。
それもやっぱり、
根本的に自分に余裕と自信がないとできひんことやろうなあと思う。


高校に進学する前、
おかーさんが、
高校の友達って一生ものやから。
大学ともまた違うから。
これからできる友達を一生大切にしーや。
って言ってた。
今その意味がすごくよくわかる。
私の今の価値観や、
生き方のベースは、
高校のあの空気感の中で培われたものやなってすごく思う。
あの3年間があって良かった。
そして多感な高校生の3年間を、
美人に囲まれて過ごせてよかった。
私の美人好きっていう特性もあそこで培われたんやろうなきっと。
うむ。


ところで美人は性格が良いというのが私とオットの共通認識です。
性格は絶対外見にあらわれる!
性格美人になりたいものです。