birthday | はんなり時間

はんなり時間

好きなものについて。
本と、京都と、食と、cafeと、海と、旅と、沖縄と、家族とかについて。


はまちゃんじゃなくてすみません。


まさかのバースデーですみません。


私事ですが先日ひとつ歳を重ねてみました。


25歳を過ぎたあたりから自分が何歳なのかがとっさに思い浮かばなくなっており
去年のお誕生日は自分が28歳になるものやとばっかり思っていたら27歳でびっくりしました。
それくらいてきとうな人生を歩んでおります。


そんなてきとうな人生におきまして。


わたしは昔からそうやったんやけど、
とくに母を亡くしてからは、
自分が死ぬってことにたいして全く怖くなくなった。


命を祖末にするということではもちろんなくて、
ただ人にはどうしようもないことがあるんやっていう諦観が
しっかりできあがってしまった。
ひとは死ぬもんや、っていうことが身を持ってわかったし、
今まででも充分すぎるくらいしあわせに生きてきたし、
今日死んでも特に後悔はないやーって、
いつも思いながら生きてきた。


でもこないだ、
高いヒールで会社の階段を降りていて、
こっから落ちたら死ぬよな、と思ったら、
いやいや絶対ここで死ぬわけにはいかへん!
と、冬山の登山並みに思った。


自分のお葬式のことを想像してみると、
オットが喪主で、
「ツマはあまりにもわがままでしたがそれでもたまにはかわいいやつでうっうっ、」
とか泣き始めるところはまだなんとか冷静に想像できたんやけど、
(ツッコミ不要)
私のいないその場所で、
息子氏がわんわん泣いて、
妹たちがそれを必死でなだめて。。
みたいなところを想像したら、
もう胸がきゅいいいいいんと痛んで、
いてもたってもいられなくなってしまった。


そのとき、
ああ私ほんとうに死にたくない。
死ぬのがこわい。
というか
今は絶対死ねない
って思いました。


オットがこないだ、
学生の頃は車の運転なんて全然怖くなかったのに、
今はツマと息子氏を乗せて運転するのからものすごい緊張する
って言ってた。
守るべきものができると、
人はどんどん恐がりに臆病になっていく。
強くなっていくはずが、
弱さもどんどん露呈する。


でもそれって自然なことなのかもしれへん。


両親からうけついだ命をこどもにつなげると、
いのちの輪郭のようなものがものすごくクリアに見えてくる。
おかーさんは初めての妊娠で色々不安になりながらおなかの中の私を大切に大切に育ててくれて、
必死の思いで生んでくれて、
おとーさんとおかーさんはきっと私の寝顔を見て笑いながらいろんな話をして、
そうして時間を重ねながら今の私がいる。
その私が今度は、
不良ニンプながら息子氏を大事に大事におなかで育て、
ビックカメラでの陣痛の末に息子氏を生んで、
オットと毎日息子氏の寝顔を見ながらほわーんとしあわせな気持ちに浸ってる。


そうしてうけついだいのちを
私は必死になって守る責任がある。
だって、子どもはおかーさんを無条件に心から必要としてるって、
私は知っているから。


だから私は、28年前におかーさんが大変な思いをして
生んでくれた自分の命を、
全力で大切にしたい。
せめて息子氏が大人になって結婚して子どもができて、というときまで生きたい。
いや、ひ孫の顔だってみたい。
どうやら母になるというのは、
臆病で欲張りになるということらしいです。


なんていうことを改めて思う、
28歳と2日の今日。


私が28歳になれたのは、
周りにいてくれるたくさんの人たちのおかげです。
お誕生日は周りのひとに感謝する日。
みんな私を28歳にしてくれてどうもありがとう!