ぬけ感 | はんなり時間

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日本語。。におそらく限らず、言語っていうのはおもしろいもので、
次々と誰かが新しい言葉を考え出す。


「ぬけ感」なんて誰が考えたんやろう。
イクメン、とか、イクダン、とか、はたまた女子会とか、いわゆる固有名詞というか、
属性を示す単語のようなものは、
出どころもまぁだいたい想像がつく。


そういうカテゴリーをつくると、
得をする人がいるのです。
というか儲かる人がいるのです。
いや、そういう言い方をするとちょっとマイナスイメージですが、
よくいえば経済が活性化するのです。
素晴らしい。


でもじゃあ「ぬけ感」みたいな、
特定の人やモノを表す単語ではなくて、
何かを(たぶん)形容している言葉って
どういう経緯でうまれてくるんやろう。


私はそういう仕事に関わったことはないのであくまで想像なんやけど、
こういうのはやっぱりファッションとか美容とかそういうところから出てくるものなんやろうか。
たとえば新商品のプレスリリースに、
「ぬけ感」みたいなキャッチーな言葉を入れると、
メディアに取り上げられやすいとか。
もしくは単純に女性誌あたりが目のひくコピーとして使い始めるのか。


わからへんけれども、
まぁどこかで誰かが今日も新しい単語を考えついてるわけです。
すごいよね。
よく思いつくなぁと単純に感心する。


そんなわけで「ぬけ感」。
言ってはみたものの別に今日まで使ったことはなかった気がする。
でもぬけ感ってなにかと考えてみて、
(というか男性のみなさまはぬけ感なんて言葉知らんのじゃなかろうか。)
私が思うぬけ感はあれです。
ロールアップしたジーンズに素足でハイヒール!
これですこれ。
大好き。


ハイヒールというフォーマルに、ジーンズを合わせる「ぬけ」た感じ。
そして、ロールアップしたところから見える素足という「ぬけ」た感じ。
はーステキ。
なるほどこうやって使うのか「ぬけ感」。
なんて便利な言葉だ!


とここまで書いて思ったんやけど、
もしかして「ぬけ感」って、
「垢抜け感」ってこと?
ならわたしちょっと意味履き違えてる?
でも新語の定義ってどうやって決めるんやろう?


。。。まいっか。(いいのか。)


さて。
ぬけた感じの話をしていてふと思い出したのが。
昔カンボジアのプノンペンからシェムリアップに向かうバスから見た風景です。


プノンペンからシェムリアップって結構距離があって、
飛行機では30分くらいでつくんやけど、
陸路でいくと舗装されてないガタガタ道を五~六時間揺られていくことになります。
なんでそんなことをしたかというとまぁお金がなかったからです。
(決して安全とは言い切れないのであんまりおすすめしません)


で、そんな貧乏旅行のなか、
オンボロバスに揺られてほんとカンボジアの田舎道を走ったわけですが。
窓の外は、ずっと向こうまで地平線が見渡せる「ぬけた」景色やった。


どこまでも続く地平線と、
ところどころに建つ掘っ立て小屋のようなおうち。
お庭のブーゲンビリア。
洗濯物を干すお母さん。
自由にゆったり水浴びをしている牛たち。


真っ赤な夕日に照らされたそれらの日常の風景が、
ほんとうにほんとうにほんとうに美しかった。


別になんてことない日常の風景のはずなんやけど、
なぜか今も忘れられない。


そこで感じたのは、
旅情、という一言で表せるものでもなかった。
自分はカンボジアの田舎で暮らしたことはもちろんなかったけど、
遠い昔の記憶と重なるような、
懐かしいような、
でもやっぱり別世界のような、
不思議な感覚。
言葉では言い表せへん感覚。


言葉ってものすごいチカラを持つし、
「ぬけ感」なんてうまい言葉やなぁととても思う。
それに仕事にしても友達や家族とのコミュニケーションにしても、
やっぱり的確な言葉で思いを伝えるのは大事やと思う。
それでも人間の感情には、
どうしても言葉では表せへんものが確実に存在する。


そういうものを
心にただそっと留めて
少しずつ集めて生きていくのも
それもまたいいじゃないかと
思ったりします。


そういう積み重ねが人生を豊かにするんやんねきっと。


というわけで
私は今日もロールアップしたジーンズにハイヒールを合わせてぬけ感だいじーとか言いながらぬけぬけと生きていこうと思います。
(なにそれ)