寝顔 | はんなり時間

はんなり時間

好きなものについて。
本と、京都と、食と、cafeと、海と、旅と、沖縄と、家族とかについて。



「ね」に関しては最初、
「猫」というテーマで、
私はどちらかと言うと犬派なのですが好きになる人は格段に猫派が多いということについて深く考察してみようかと思ったのですが、
特に結論がでなさそうなのでやめました。
ぜひ誰か分析してください。
犬派女子が猫派男子に惹かれる理由。
(なにそれ)


さて寝顔について。


好きな人の寝顔を見るのがしあわせ(はーと)
なんてことを言っていた時期があったかどうかすらもはや記憶にありませんが、
ここにきてまた、
私にもしあわせな寝顔というものができました。


ええそうです息子氏の寝顔です。
でもそれだけではなくて、
息子氏とオットが並んで寝てるときの寝顔です。


いやもうね、
オットの寝顔なんて最近、
「ひげのびてるなー」とか、
「あごが二重あご化してるなー」とか、
そんなことを感じるくらいやったわけですが、
息子氏と並ぶととたんにそのかわい。。。くはないけど、
キュー。。。トでもないけど、
なんていうの、その、おんなじような顔が、
でかいバージョンとちっこいバージョンで並んでるのって、
なんともいえずきゅんとくるものがあるんですよええ。
いやあくまで二人並んだら、ですよ、二人並んだら。


家族やなあって実感してしあわせな瞬間って、
たくさんあるんやけど、
この並んだ寝顔っていうのも格別です。


なんかねー
寝顔って基本的にものすごくあほっぽいじゃないですか。
子どもの寝顔って、
天使とかよく言うんやけど、
そんな美しいものではなくて、
あほっぽすぎてかわいすぎる、
っていう質のものです。私の中では。
いや天使は天使なんやけど。かわいいから←あほ


そこに、オットの(あほっぽい←内緒ですよ)
寝顔が並ぶと、
なんなのかなあ。
このあほっぽい親子とすごすあほっぽい毎日という
このあほっぽい平和感に
あほみたいにしあわせを感じます。


いいですか関西人にとってあほとはほめ言葉です。
(た、たぶん)


私は今まで両親に、
「勉強しなさい」とはたったの一度も、
受験生のときですら一度も言われずに育ちました。
三姉妹の女系家族だったので、
しつけというかなんというか、
まあ門限だったりなんだったりっていうのはそこそこ厳しくて、
いかんせんダメ長女の私は
思春期にはそれすら窮屈で、
無駄な抵抗をよくしてしまいましたが
(ほんとすみません)
勉強に関しては、
窮屈だなあと感じたことは一度もなかった。


だから今歩んでいる道は、
間違いなく、
私が自分で選んできた道やって言い切ることができる。


それは私にとってものすごく大切な意識で、
結構自分の軸になってるところやろうなと漠然と感じています。


そしてその道は、
私がものすごく強い信念と、
「こうあるべきだ」という理想を持って突き進んできたというような
堅い道ではなくて、
とてもありがたいことに、
色んな偶然や出会いが重なって、
自然と自分がこうありたいなあという道ができてきた感じ。


これはひとえに、
うちの両親が、
がちがちに決めた道を押し付けてきーひんかったからなんやなって、
今ではわかる。
思春期のときはわからんかったけど。
重ね重ねすみません。


だから私も、
息子氏にはできるだけ、
「こうあるべき」っていう道をおしつけることは
しないでおきたいなって思います。
大切な局面で、
きちんと自分で選べるような土台を
作っていってあげたい。


で、そのためには、
家庭という場所を、
いつまでも、
あほっぽい寝顔ですやすや眠れるような、
ゆるーいあほっぽさを持った場所にしていきたいなと思うのです。
いや、ほんと、
いい意味で。


そんなあほっぽい想いを抱きながら、
あほっぽい二人の寝顔を、
あほっぽい顔でのぞく今日の私です。
ああなんてあほっぽい家族。
ああなんてあほっぽいブログ。