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はんなり時間

好きなものについて。
本と、京都と、食と、cafeと、海と、旅と、沖縄と、家族とかについて。


30歳になったわけですが。
夢がねあります。
最近やっと、
そうだな私はそうなりたいんだな、
とわりとしっかり思えるようになった気がする。


それは、
ケーキ屋さんになりたい!
とか、
パン屋さんになりたい!
とか、
そういう職業的なことではなくて、
自分がどう生きていきたいのか。
人生において何を大切にしていかのか。
と、いうレベルの話。


思うにたぶん。
今の時代って、
仕事とか職業とか働き方の価値観が、
親世代とはもちろん違うわけやけど、
私が就職活動をしていた時とももぜんぜん違っていると思う。


例えば私が就活してたときって、
「外資系金融」とかってなんとなーく人気の職種ブームやった気がするんやけど、
そのあとしばらくてしてリーマンショックが起こったりして、
今はきっと違うんじゃないかなぁ。
わからへんけど。


そして、
その「人気の職種」自体の移り変わるスピードが、
親世代の頃とはもうまったく変わってるんやろうなと思う。
それはもうもちろんインターネッツが発達して情報社会になり云々、
あぁ電論思い出したなつかしい。


そんな波のど真ん中にいて、
それでいて妊娠出産という、
自分の生き方を大きく変えるイベントが続いて、
否応無しに人生そのものを考える機会が増えた。
そういった中で、
ごくシンプルに、
自分がどう生きるのが楽しいのかって、
なんかそんなことを考えるようになって、
あーわたしは、
こういう生き方がしたいなぁと、
いうのが見えてきた。


けどねわたしは、
例えば息子氏の妊娠中に、
そんなことを考えていたわけじゃないんだな。
この出産が、
自分の生き方を変えるものっていうような意識自体があんまりなかった。
生き方を変えるっていうとなんか大げさなんやけど、
例えば子供を出産すれば、
それまで通りに自由に残業をしながら働くことは難しくなる。
休みの日に、
仕事で疲れまくったからって好きな時間まで思う存分寝ることもできなくなる。
好きな時に好きな場所へ行ったり、
旅行へ行きまくったりすることも難しくな。。る。。は。。ず。。(小声)


そういうことを私はあんまり深く考えてなかった。
目を背けていたわけでも、
まったく想像だにしていなかったわけでもないんやけど、
そこまで深くは考えてなかった。


それは私の今までの生き方が全部そうで、
例えば18歳で家を出て東京の大学へ行くことが、
私の生き方をどれだけ変えるのかって、
あんまり深く考えへんかった。
実際は大きく変わってるんやけど。


けどそれで、よかったなぁって思う。
深く考え過ぎたらきっと大きすぎる決断なんて私はできひんし、
なんとなーく、
その都度、
少しの決断をしながら、
流れに乗って生きてきてよかったなぁと思う。


それは自然な流れやったんやろうなと、
今になってみると思う。
息子氏を出産する前に、
どれくらい自分の生き方が変わるのか、
働き方が変わるのか、
なんてあんまり深く考えへんかったけど、
そして実際に大きく変わったけど、
でもそれは私にとって望ましい変化やったなって思う。


で、
私はこの30年間で培ってきたこの、
流れの中でなんとなく決断する力というか、
いやそんな力なんて言うのはおこがましくて、
なんとなーーーく流れに乗る性質というか、
そういうのをこの先も信じていきたいなぁと思うのです。
小さな決断を自分できちんとする、
ということさえ怠らなければ、
その流れに不満を抱いたり、
後悔したりとかは、
まぁまずしーひんから。


今の自分になる流れがあったからこそ、
見えてきた、
自分の心地よい生き方というのを、
ちゃんと信じて、
変化のタイミングが来たらその瞬間を逃さずに、
理想とする40代50代60代に向かって、
ゆるりゆるりと流れてゆきたいと思います。


夢ってさ、
女優になりたい!
モデルになりたい!
歌手になりたい!
ケーキ屋さんになりたい!
パン屋さんになりたい!
そういう、
具体的なことだけじゃないんよね。


こうありたい自分、
という「夢」が先にあって、
じゃあどうやってお金を稼ぐのか、
どうやって働いていけばいいのか、
そういう風に考えると、
なんかちゃんと手の届く、
叶うものに見えてくる気がする。


流れ流れてどんどんどんどん
ゆるーーーーーーーーい大人になっていきたいとおもいます。
うふ。




ビジネスの席でしてはいけない話題と言えば、
政治、宗教、そして野球。
そうそれほどまでに人を熱くするもの、それが野球。
そして私はといいますと。


そう究極の野球オンチ♡
いえい♡


まず野球が何人でやるスポーツなのかがわからない。
ピッチャーとキャッチャーが敵なのか味方なのかわからない。
セリーグとパリーグの意味がわからない。
どうしてユニフォームがつなぎみたいになっているのかもわからない。
そう会社の先輩には言われるよね。
「むっしー新聞を読みなさい」とね♡
てへ♡


こういうのはきっと育った環境も関係していて、
うちの実家では野球中継をみるという習慣がなかった。
おとんもおかんも、
ひきいのチームとかなかった。
なんなら、楽しみにしてたドラマを中継でふっとばしてくれる、
めんどくさいヤツやった。


もうさそういう習慣がないと、
まず触れる機会なんてないわけですよ。
新聞だって野球の記事は読み飛ばしたりするわけですよ。
ピッチャーとキャッチャーが敵なのか味方なのかって、
それ一般常識じゃないわけですよ私にとっては!


と、いう状態の私ですが、
まぁこんな私も男児の母になりまして。
気づけば息子氏は三歳。
なんなんだろうねぇ遺伝子なのかなんなのか、
男子っていうのは生まれつき車と電車が好きやし、
スポーツ全般が好き。
とりあえずうちの息子氏に関しては、
車と電車とそしてスポーツ観戦に関しては私よりずっと興味があるらしい。


そんなわけで私は生まれて初めてなんじゃないかというくらいの勢いで、
野球を見に行ったり
(ルールはさっぱりわからんけど)、
キャッチボールに付き合ったり
(主にはパパと息子氏のキャッチボールを見てるだけやけど)
しています。


で、そういうの、
なんか、結構、楽しいんですよね。
なんか。
なんなんやろう。
別に、食わず嫌いやったけどやってみたら野球って楽しいやん!
って、言うのとは、
ちょっと違って。


たぶん息子氏がいなければ、
私は野球はやっぱりみにいかへんと思うし、
キャッチボールだってやらへんやろうと思う。
息子氏を通じて野球の面白さに目覚めた!
と、いうわけでは、
残念ながらというかなんというか、
特にない。


ただ、
息子氏と一緒に、
新しいものをみたり、
新しいことに挑戦したり、
息子氏が好きなものを、
一緒に体験する、
っていうそのこと自体が、
なんかとても楽しい。


それは、
車やったり電車やったり恐竜やったりなんならキョウリュウジャーやったりもおんなじで。
がぶりんちょ。


三姉妹の私が今まで出会ってこなかったものばかりで、
新鮮やっていうのももちろんあるんやろうけど、
やっぱり、
子どもが何かに興味を持ってくれるのって、
どんなに小さい子どもでも嬉しいもんなんよね。
好きなものをみつけてくれて、
それを楽しそうにやってる姿を見るのって、
当たり前かもしれんけど、
めちゃくちゃうれしい。


それを一緒に共有できるのは、
母さんとても楽しい。


これからもいろーーーーんな楽しいこと、
好きなことを見つけてほしいし、
できるだけ、
共有していけたらいいなぁと思う。
お互いに無理のない範囲で。
まぁそのうち、
全然理解できひんようなことに興味持ち始めるんかもしれんけど。
それまではさ。


そのときできるだけ、
可能性をね狭めないように、
してあげたいなと思う。
楽しいこと好きなものに出会ったときの、
わくわくした気持ちを、
奪っちゃわないように、
細心の注意を払っていてあげたいなと思う。
大人って意外と簡単に、
子どものわくわくを奪っちゃえると思うんよね。
それはちゃんと意識して、
気をつけてないと、
簡単にやっちゃうと思う。


ほんとうに、
この子たちはこれから、
なんっっでもできるんやもんね。
可能性のかたまりやもんね。
大げさじゃなく、
ほんとにあらゆる可能性を全部信じてあげたい。
プロ野球選手になるかもしれんもんね!
でもそれまでに私野球が何人でやるスポーツか覚えられんのかな私。
まぁそれはそのとき考えよう。


と、いうわけで、
息子氏が野球選手になって、
大リーグにスカウトされるまでには、
野球のルールを覚えたいと思いますという、
今日のお話です。

お久しぶりです。
一体なんのタイミングなのかよくわかりませんが、
ほったらかしまくった50音ブログを再開しようかと思いまして。
「も」があまりにも思い浮かばなかったので、
てきとうなタイトルをつけました♡
てへ♡
つまりは再開しますということです。
一日一記事。
書けるかな。。!!


さて。
もういくつ寝るとお正月。
書きましたかあれ。
年賀状。
年賀状は25日までに投函ですよ。
投函しましたか。
私ですか。
もちろん!
投函!
していません!!


振り返って考えてみました。
生まれてこのかた30年。
25日までに全て書き終わっていたことは。
一度も。
たった一度も。
ない。
すばらしい。


年賀状なんて毎年のことなのだから!
だいたい6歳から書き始めたとして
(何歳から書き始めるんやろう普通。)
もう23回は書いてるわけじゃないですか。
いやちょっと計算あってるか自信はないけど。
それならその23回分で学ぼうよという話です。
去年も間に合わなかったのだから今年はまず年賀状の注文を一週間はやめよう、とかね。
学習する生き物じゃないですか人間って!


うんでもねそれができない♡


いやうん私は今年も年賀状が遅れる言い訳を長々したいんじゃないんですけど♡


人生にはそういう、
学ぶ機会はいくらでもあったのに学ばないこと。
誰にでもできるはずやのにやらへんこと。
ついつい後回しにしちゃうこと。


そしてそれが、
簡単であればあるほど、
つい自分のこと小さく責めちゃったりするわけなんですが。
結局ね、
学ばないことというのは、
自分がさして学ぼうと思ってないことなんよねきっと。
後回しにしてしまうことも同じで。


そしてそれはあくまでも「今の自分」がそう考えていること。


それは、まぁ、それでいいじゃないか、と、思うのです。


今の自分にとっては、
もっと大切なことが、
学ぶことが、
たくさんあったわけなんやなと。
例えばサンタ代行業がめっちゃ忙しかったからとか。
そのサンタ代行業から学ぶことがたくさんあったとか。
だいたいクリスマスと年賀状の締め切りがぶつかってるなんてナンセンスやとか。
というかそもそもこの25日までって締め切りってほんとにあってるのかとか。
てゆうかぱっと隣をみたらむすめ氏が書きかけの年賀状くわえてきゃっきゃ嬉しそうに遊んでるとか。。。えっ!!
まぁでもかわいいよなぁ赤子のいたずらって。
そういえば赤子はなんでいたずらするのかな。
このかわいいいたずらは何歳くらいまでやったかな。
何歳過ぎるといたずらに本気でイラっ☆と来るんやったっけかな。


とか、
ほら!
考えてたら!
時間が今日もどんどんすぎてゆく!!
今日も年賀状が書けない!!


とまぁ、
こういった具合に、
学ばない私は今日も年賀状が書けないんですけど、
反省は!
します!
来年こそは!
25日までに!
投函したいと思ってはいます!
でもね。
あーなんてだめなんだ自分。
と、いう考え方は、
しないでおこうというのが、
2014年の目標です。
なんてひどい目標。
これ以上てきとうになるなんて。
でもいいのです。


自分に優しく人に優しく。
そういう人でありたいと、
思っています。


だいたい、
「今の自分」は今年もやっぱり年賀状まだかけてないけど、
来年の自分にとっての年賀状はもっと違う意味を持っているかもしれない。
私の絵がとうとう広く評価されて、
私は年賀状専門のイラストレーターになって、
年賀状を締め切りまでに仕上げざるを得ない状況になっているかもしれない!!!
そうだきっとそうなんだ。


と、いうわけで、
来年はがんばって早く仕上げたいと思ってはいますので、
今年もゆっくり着く我が家の年賀状をよろしくお願いします。
そろそろ手描きの絵の年賀状にしようかな♡



こないだ、
ひーーーーーさしいぶりのお一人様時間をもらって、
代官山へいってきました。


って言っても美容院へいったんやけど。
学生の頃からかれこれ10年以上通う美容院@代官山。


せっかくなので、
蔦屋書店と、
梨花ちゃんのセレクトショップ「メゾンドリーファー」
にも行ってみた。


さすが「梨花」といった感じの空間でした。
モデルでお洋服のデザインをする人はたくさんいるけれど、
空間デザインってまた別で、
世界観を空間で表現するっていうの難しいんじゃないかと思う。
いや私が苦手なんかもしれんけど。


それをやってのけるのはすごいなあ。
そして何よりすごいのは、
そこにものっすごいたくさんの女の子たちがきていたこと。
みんな入り口で写真とったりしてた。
「梨花」というブランドしっかり確立されていること。
たぶん梨花の旦那様はかなりマネージメントのやり手なんじゃないかと
勝手にふんでるけど、
「梨花」ってまさにブランド。
梨花ちゃんもそのことをよくわかっていて、
だからたまに自分の本の中でも(蔦屋書店で読んだ)
自分を「梨花」って表現するんやと思う。
本人が自覚できたら、
こんなに強いブランドはないよなあ。
自分ブランド時代。


そんな梨花ちゃんのお店ですが、
びっくりするのが
赤ちゃんを抱っこしたママの多いこと多いこと。
なんでも授乳室もおむつ替えスペースもあるらしい。
(にしても段差があったり通路がちょっと狭かったりで
ベビーカーはちょっと厳しい気もするけど)
これは梨花ちゃんがママになったというところももちろん大きいと思うんやけど、
あとは代官山がここ数年ですっかりママの街に変化したところにもよると思う。
というかだからたぶんあのお店は代官山にできたんやろうなあ。


10年通ってる美容院の美容師さんが、
「平日の午前中、もうちょっと早くオープンしようかって考えてて。
最近幼稚園のお迎えを気にしながらばたばた来てくれるママのお客さんが多いから。」
って話してはった。


「大人の蔦屋」の蔦屋書店も、
テラス席はベビーカーでいっぱい。
「幼稚園のお迎えまでの時間にお茶をするママ軍団」も多いらしい。


ニンプの頃、
気になる
ベビーカーとかスリングとか抱っこひもとかって、
「実店舗では代官山でのみ取り扱っています」
っていうのがやたらと多かった。
バガブーしかりピースリングしかりベコしかり。


そうなのですいつのまにか代官山は、
すっかりとママの街になっていたのです。


私が高校生の頃、
代官山といえばオサレの聖地みたいなところがあった。
サイラスのTシャツを買うためにあの長蛇の列ができてた頃。
WRがあんなふうじゃなくてもっと知る人ぞ知るオサレブランドやった頃。
だから上京したての私が喜び勇んでまず行った街は代官山やった。
そしてあまりのわかりづらさにひとっつもお店に行けず帰ってきた。
あの頃ぶいぶい言わしてたBEAMSの戦略がそうやったように、
「わざわざさがしていかなきゃいけないわかりづらい店舗」
っていうのはオサレブランド確立のための一つの条件やった。
方向音痴の私にとってこんな辛いもんはなかったけど。
おかげでいまだにウラハラがどのあたりかよくわからない。


そういうオサレなお店が、
代官山には集結していて、
雑誌には毎号代官山の地図がのっていた。


オサレのメッカ代官山。
思うに、そう仰いでいた人が今はだんだん、
パパママになってきているんじゃなかろうか。
その変化(というか成長というかなんというか)に合わせて、
代官山も変わってきた。
つまり、
「オサレのメッカ代官山」に憧れた田舎もんの私が、
とりあえず代官山のオサレ美容院へいき、
そのまま10年間かよっているうちに、
大学を卒業し、
社会人になり、
結婚し、
息子氏がうまれてママになった。
その間いつのまにか美容院は、
子どものカットのサービスを始め、
開店時間をママにあわせようとしていた。
なんとわかりやすい変化。
なんだわたしのためか!(違)


しかしこの柔軟な変化って代官山があの規模の街やからこそできたことやと思う。
今(というかここ数年ずっと)シモキタ存続のために色んなことが問題になっているけれど、
そういう意味でこの代官山の変化は柔軟ですばらしかったと思う。
代官山ブランドマネージャーみたいな人がいるのかどうかわからへんけど、
そして街全体で戦略的にそうしたかどうかわからへんけど、
こういうブランドのあり方もあるよなあと
思います。


ブランドっていうのは色々あって、
例えばペプシは、
いつの時代においても若者のためのものって戦略をとってる。
若いときにペプシを飲んでいた人が大人になったとき、
その成長に合わせていくんじゃなくて、
ペプシはターゲットを「今の若者」に変える。
だからこそあの若くてちょっと尖ったペプシのブランドイメージは維持されてる。


でもネットでなんでも買える今の時代の高校生にとって、
代官山が私たちの頃のように、
「オサレのメッカ」となることは
ちょっと厳しい気がする。
それこそ代官山ブランドマネージャーが精緻な戦略をたてへんと難しい。
いやまあその仕事はおもしろそうやけど。


だからターゲットを変えることなく、街自体が変化し成長していくっていうのも
それはそれで面白いなと思う訳です。
私はまんまと蔦屋書店にはまったし。
美容院いくたびぜったい通うと思うもんあそこ。


しかし私たちがじーちゃんばーちゃんになる頃、
代官山はどうなってるのかね。
オサレシニアのための街になってるのかな。
美容院はオサレ白髪染めサービスを始めてて。
うむそれもありやな。
でもって今パパママにつれて行かれてる子どもたちが、
また代官山に通い始めたりすると、
これなかなか良いループですよね。
うむ。
そんな梨花ブランドからの代官山ブランド考察でした。



ただいま沖縄のホテルに息子氏と二人でいます。
息子氏が生まれる前、
休みがあればしょっちゅう一人旅沖縄を回っていて、
そのときによく泊まっていた那覇のホテル。
息子氏と二人でいるのが不思議な感じです。


息子氏が生まれて、2年近くが過ぎました。
私は三姉妹の長女として育ったので、
今でもおうちの中にお父さん以外の男の人がいるっていうのは、
不思議でならないことだったりします。
男の子が何をして遊ぶのかっていうのも
さっぱりわからんかった。
息子氏がうまれたときは、
いったいどんなおもちゃが必要なんやろうって、
本気で悩んだ。
トミカもプラレールも私は知らんかった。
男の子なんて私に育てられるんだろうか!
とほんと思った。


けどね生んでみると育ててみると。
男の子っていうのはほんとーうーにかわいい。
ばかで単純でかわいい。
こういっちゃなんやけど、
やっぱり「異性」なんやなと思う。


私は自分に異性が育てられるなんて思いもしーひんかったけど、
こうして育てていると、
自分とはまったく違う対象で、
それでも自分がいーひんと生きられへん存在っていうのが
そりゃもう愛しくて仕方ないし、
そういう対象がいてくれることで、
自分がぐんぐんと変化(できれば成長と呼びたいけれど)していくのを
感じることができます。


異性を守る日がくるなんて思いもしーひんかったけどさ。
このあかんたれの私がさ。


まあでも。
ほんとは私は息子氏に守られているのかもしれないなあ
とも
思います。


息子氏がいるから
朝早く起きたり
ごはんを作ったり
仕事をしたり
そういう一つ一つを頑張ることができている気がする。
それって息子氏にある意味
守られているのかもなあ。


ニンプになる直前のころ、
私は仕事がもーーーーーーてんてこまいに忙しくて
悩みとかありまくりで
しかもおかーさんがいなくなったことのショックっていうのが、
なぜかその頃(もう数年たってたんやけど)
ピークに辛くて、
なんかかなりいっぱいいっぱいやった。
大事なものとかもうよくわからんようになってた。


けど息子氏がうまれてきてくれたことによって、
私は自分の価値観がかなりくっきりしてきて、
優先順位とかつけられるようになってきて、
なんというかすごく生きやすくなった。
もちろん育児の悩みなんてきりがないほどあほみたいにあるけど、
でも悩んでる時間とか
すごい短くなった。
悩んでるひまがあんまりないんよね。物理的に。


今まで、
いろーんなことがあったけど、
私の人生は、息子氏が生まれてきてくれたことによって、
なんていうんやろう、
ものすごく「救われた」と思う。
それまでが不幸やったわけでもなんでもないけど、
なんか息子氏が生まれてきてくれたことは、
私の人生の一つの答えやったような気が、
ものすごくするのです。


もちろん、
息子氏の人生は息子氏のもので、
私の人生そのものではない。
おなかから出た瞬間、
息子氏は私と別の人生を歩みだしたんよね。
それはきちんと理解して、
息子氏の人生を尊重していきたい。
でも息子氏には、
生まれてきてくれて、
ほんとにありがとうって
心から思う。
息子氏がうまれてきてくれて、本当によかった。
息子氏を育てることができて、本当によかった。
私の人生に、
登場してくれてありがとう。


この先まだまだ、
悩みはいっぱい出てくると思う。


来年もっともっと上手におしゃべりができるようになってるだろう息子氏のこと。
小学生になってお友達とかお勉強とかの悩みも出てくるだろう息子氏のこと。
そのときの男児のお洋服があまりにださいものしかないであろうこと。
小学生の息子を育てることとお仕事を両立させること。
中学生になって部活に入ってモテるモテないに悩むであろうこと。
そして思春期を迎えた男児(?)の扱い。
もうそんなの想像するだけでこわいこわすぎる。


でも、
生まれてきてくれたこと。
私にひとつの答えを出してくれたこと。
もうそれだけで、
息子氏は私に一生分の親孝行をしてくれた。
だから私は、
息子氏の人生を尊重しながら、
生きてるうちは全力で、
息子氏を守っていってあげたいなと思う。
いや守るなんてことはできひんかもしれんけど
味方でいる。
息子氏の一生分の親孝行を、
私は私なりに返していきたいなあと
そう思います。


そんでこういうとき
もしかしたら同じ気持ちでいてくれたかもしれない
お母さんのことを思います。
私は何一つ親孝行をしてあげられへんかったけど
私が生まれた瞬間
お母さんに、
たくさんのものをプレゼントできていたのかもしれない。
そうやったらいいなって、
思います。


そんな親ばか日記。
息子氏にくそばばーとか呼ばれた日には
この日記を読み返してぐっとこらえ。。。
はしませんよ全力で怒りますよくそばばーなんて言わせるものか。
(どっちやねん)




いちばんよく利用している空港は羽田空港ですが、
その次は那覇空港と宮古空港やなあと思う我が人生。
この10年で何回いったんやろう、もう数えきれません。
たぶんいつのまにか沖縄本島よりも宮古島に滞在した期間の方が
長くなってる気がする。


沖縄で行った離島は、
宮古島(伊良部島、下地島)
石垣島
竹富島
西表島、由布島
その他本島や宮古島から橋で渡ることができる島々。


その中でも特に宮古島に惹かれるのはなんでなんやろう。


石垣島ほど都会ではないけど
一応、スーパーとかモスとかケンタッキーとかジョイフルとか
まるこちゃんとかはそろってる。
(まるこちゃん?)


とはいえ、 基本的には「なにもない島」
だと思います。
生活をするためのものは24時間いつでも手に入るけど、
(24時間あいているスーパーも24時間あいているまるこちゃんもある)
クラブとかファッションモールとかららぽとかコストコとかIKEAとかドーバーストリートとかセリーヌとかはない。
あ、マクドもない。
はず。まだできてなければ。


物欲まみれの私がこんな島で満足できるのかというと、
それができる。
充分すぎるくらいできる。


それは普段私が俗世界で欲にまみれて生きているから、
たまにはなにもないところで
数日はゆっくりする時間が必要だから。
なのか。
そうなのか。
と、いうと、
まぁそれも一理あるんやけど、
それだけでもない。
気がする。


私は宮古島に単身で乗り込んで車の免許をとったのですが
そのとき一ヶ月間宮古島に滞在して、
まぁほんとひますぎる一ヶ月やったんやけど、
ひますぎて毎日みたいにこのブログでひまひま言ってたんやけど、
でもそれでも、
はー銀座が恋しい
新宿が恋しい伊勢丹が恋しい
と思うことはなかった。


それは、たまにある「なにもない」時間が必要やったというよりは、
ただひたすら怠惰に続いてゆくなにもない時間が
そして、
ずーーーーーっとそこにある美しすぎる海が
(ハワイよりグアムより余裕できれいなんやもん宮古の海)
24時間あいてるまるこちゃんが
あまりにも贅沢やったからじゃないかなあと
思います。
それで十分満足できたからなんやと思う。


東京にいるとたまに
おいしいものがありすぎて
おしゃれで刺激的なお店が多すぎて
一周回ってなんかもう消化不良でおもんない!
みたいに感じてしまうことがある。


そんで京都とか鎌倉とかにいくと、
いきたいところはぎゅっと凝縮されていて、
例えば一週間あればだいたい回ってしまえそうな感じが、
ちょうどいいなあと
思ったりする。


東京では、
やっぱりなにかをまとっていないと、
ちょっとくらい肩に力を入れていないと、
ちょっと生きづらいかなっていう気がする。
知らず知らずそうやって生きているような気もする。


宮古島やと、
そういうのはすっかり忘れてしまえる。
今日の予定がなにもなくても、
海辺で本をだらだら読んでたらそれでいいやって、
ただそう思える。


私はきっと、別にどっちでもいいんやと思う。
どっちも必要というか、
どっちでもいい。
東京でおいしいものや刺激的で楽しいことに触れながら生きる毎日も楽しいし、
宮古島でぼーっと海みながらなんにもない贅沢にひたるのも楽しい。


初めて宮古島にいったとき、
私みたいな人間は、こういうなにもないところでは
たぶん生活してはいけへんねんやろうなあ。
旅行でくるくらいがいいんやろなあ。
仕事とか、ばりばりしたいしなあ、
と、思ってた。
し、そんなようなことをブログにも書いた。


でもあれからたくさんの土地を旅行して、
いろんなゆるい国をまわって、
東京生活も10年をこえて、
まあ別にゆるい土地ならそれはそれで全然生きていけるなわたし、
と思うようになった。


いやそれは具体的にそこに住みたいとかそういうことではなくて、
なんというか自分の価値観が、
そういう風に変わってきたきがする。


住む場所とか
働き方とか
そういうものに
こだわりがあまりなくなってきた。
アラサーになって
少しだけ
ゆるくなれたのかもしれない。


私のこの10年間の目標は
肩の力が抜けた最高にゆるい40代を目指すことなので、
これはとても良いことだなあと
思っております。


まあそんなわけで、
ゆるゆると過ごすためにゴールデンウイークは
宮古島へいってきます。
宮古島のお友達のみなさまよろしくお願いします。


あとまるこちゃんはぜったい行こう。
まるこちゃん。



いったい何を言い出すんだこのブログは。
こんばんは。


毎日ブログをアップしようかなと決めたとき
(ぜんぜん毎日できてないけど)
最初にテーマにしようと思ったのは
「眉」でした。


なぜかというとですね。


私はお化粧の中でまゆをかくというのが一番苦手です。
みなさんちゃんとかけますか?まゆ。


そもそも、
お化粧というのは、
人生の中でたぶん最も「独学」の要素が強いものだと思います。
ちがいますかね。
少なくとも私は今まで、
お化粧についての講義をうけたことはありません。


実家で暮らしているとき、
私の場合は
高校3年生までの18年間。
この高校生というのはとても微妙な年齢でありまして。
基本的に、
高校生でお化粧をするっていうのは、
オトナたちにとってものすごく推奨されることではないわけです。
だから高校生の娘にお化粧の仕方を教えるお母さんって、
世にそんなに多くはないと思います。
うちもしかり。


だからといって、
大学生になってから、
わざわざお母さんにお化粧の仕方をきくっていうのもねえ。
なんだかねえ。
ナンセンスじゃないですか。
だいたいお母さんのお化粧とかまねしたくないし。
こちとら10代のピチピチギャルなんやから。
(※ピチピチギャル…昭和的表現)


そんなわけで、
お化粧というのは学校ではもちろん、
親からも教わる機会はないわけで、
女の子たちが独学で身につけてゆくものなわけです。


女子校の放課後っていうのはとても楽しいものでして、
はーほんっと楽しいものなんですが、
友達みんなのお化粧ポーチをひっくり返してですね、
あのマスカラがいいだの
このアイシャドウ貸してだの
わいのわいのお化粧大会が始まります。
で、そういう中でたぶんみんなお化粧の仕方って学んでいくんやと思うんやけど、
まゆってさ。
すんごい地味なパーツなわけですよ。
特にお化粧をし始めたばかりの
ピチピチギャルにとっては、
まゆとかささっとかいて、
メインのマスカラとかアイラインとかの華やかな行程にうつりたいわけですよ。
アイラインの引き方とかは、
そりゃあもうみんなでわいのわいの教え合うわけですよ。
あーほんと楽しかったな放課後。


そんなわけでピチピチギャルの頃はまゆなんぞ軽視しちゃってですね。
その後もお化粧ごときでわいのわいのきゃぴきゃぴすることはなくなってですね。
そうして気づけばアラサーになるわけです。
やだ怖いホラー。


というわけで、
ピチピチギャルの頃まゆを軽視したあまり
アラサーになって、
ちょっと待ってまゆ書くのわたしすんごい苦手。
みたいな状態に陥るわけです。
眉こわい。


しかもアラサーになるときづく。
いやほんとはもっと早くに気づいてた。
まゆって大事ですよね。
きれいなまゆって顔立ちをきれいにするよね。
ああ眉こわい。


だから私はとにかく、
まゆをきれいにかけるようになりたい。
2012年の年間目標はそれにしようと本気で思っていたくらい、
まゆをきれいにかけるようになりたい。


しかしまゆの書き方って
いったいどうやって学べばいいのかね。
書き方というか、
もう根本的にお手入れの仕方ね。
ananとかに載ってるんかな。(載ってない)


それにしても私は、
例えば「まゆをきれいにかけるようになりたい」
といったような、
きれいになるための努力、みたいなのを、
いつもどこかでちょっと、
恥ずかしく思っちゃうようなところがあるんよね、
なんとなく。


なんでなんやろうね、
「美」にがつがつしてるのって恥ずかしい、
ってつい思っちゃう。


けどほんとは、
女性が美しくいようとする努力っていうのは、
ほんとにほんとにすばらしい。
美しくいようとする努力なんていうと大げさやけど、
お肌をきれいに保ちたい、
おでこにできたニキビを治したい、
おしゃれになりたい。
そういう気持ちって、やっぱり大切だ。
結局本気で「美」を追求する人は、
内面からも美しくなっていくもんね。


だから私はこれからは臆することなく、
きれいになりたいですと言って行きたいと思います。
いややっぱりちょっとうそ。
それは恥ずかしいので、
やっぱりまゆをきれいにかけるようになりたいです
に、とどめておきます。


ほんとかけるようになりたいなーきれいなまゆ。
教えてanan。







こないだTwitter上で、
主に「働く母」をサポートする立場の方が、
保育園を絶賛するがあまり、
専業主婦の人がちょっと不快に感じるような発言をしていて
ちょっと話題になっているのをみかけました。


その発言をとりまく色々に関して個人的に思うことはあれどそれはまぁおいといて。


さて保育園というのは
そんなに素晴らしいところなのかというところを
ちょっと書いてみたいとおもいます。


よく、保育園に通わせてよかったところというのに、
言葉が増えた
トイレトレーニングが進んだ
好き嫌いがなくなった
などなど、具体的な「成長」が挙げられているのを見かけます。


でも私は個人的にそれは保育園に通うメリットではないかなあと思っています。
それらはいずれ子どもたちが学んでゆくものだし、
「子どもの成長に関しては、
どれをとっても
早ければ良いというものではないよ。
ゆっくりでいいよ」
というのが、
私の尊敬する息子氏の産院の健診主治医せんせの口ぐせで、
そのとおりだと私も思っています。


もちろんトイレトレーニングにしろなんにしろ、
個々人の御宅でこの時期までには、
という方針はあるかもしれないし、
それはそれで大切やと思う。
でもどちらにしてもそれは
基本的には親である自分たちが決めて進めてゆくことで、
保育園に通っていたから早まったっていうのは結果論であって、
メリットじゃぁないかなぁと思う。
いや進めていただけるのは大変至極ありがたいんですがありがとうございます。
てへ。


じゃあ息子氏はなぜ
保育園に通っているのかといいますと。


もう流れですよね人生の流れ。
えっなにそれ。


私は社内では比較的早めに出産をしたので、
産休に入ったとき、
その時点で仕事をやめるという選択肢はどうしてもまだ
もてへんかった。


けど、そうは言っても、
どうしてもなにがなんでも息子氏を預けてまでも仕事をしたいのかときかれると、
そんなこともない気がしていて。
復職前はそれはそれはほんとうううううに悩んだ。
悩んだというか、
不安で不安で倒れそうやった。


そのときの私は、
誰に何を言ってもらっても、
どうっしても保育園にポジティブな印象を持てへんかった。
保育園はいいところだよってたくさんの先輩ママに言ってもらっても、
どうしても自分はそう思えへんかった。
それこそ、
ご飯をたべるようになった、
言葉が増えた、
できることがふえた、
って言ってもらっても、
そんなこと望んでないしなぁって、
思ってしまってた。
いやねほんと頑固なんよね私の頭。
結局自分で納得できひんとあかんねんよね、何事も。


だから周りの友達がみんな四月に復職する中、
私はどうしても一歳までは息子氏と一緒にいたくて、
産休に入るときの予定通り、
1年以上の育休をいただきました。


今の東京23区の状況でいうと、
やっぱり0歳児の4月がいちばん保育園に入りやすいです。
だからいろんなひとに、
復職を早めて4月にした方がいいよって言われた。
でもここでも頑固な自分が現れて、
法律でも会社の規約でも1年の育休をとれるのに(うちの会社では2年)
なんで保育園が少ないからって短くしなきゃならんのだ
そんなのおかしいわい
と、
まったくほんと生意気なことを思っていたりしました。
すみません。


そういった、
自分の中のいろんな葛藤や、
保育園をとりまく厳しい環境や、
いろんなものと向き合ってなんとか折り合いをつけて、
私はやっとこさ、保育園を決めることができました。
そうやって決まってもそれでも、
不安は拭えへんかった。
ほんとに息子氏を保育園に預けてまで
私は働く必要があるのか。
こんなにかわいい息子氏と、
私は8時間も9時間も離れていられるのか。
ああ不安すぎる不安すぎるぐるぐるぐる。


でも、
これは私の場合は、
いや私たち家族にとっては、
結局とても良いことでした。
結果として、とても良い保育園にご縁があった。


なにが良いって、
息子氏がものすごーーーーく
楽しそうに毎日通ってくれる。
ほんとにもう
ただ、それだけです。


ご飯をたくさん食べるようになったとか
言葉がふえたとか
そういうのは私はやっぱり今でもそんなに大事じゃなくて、
息子氏が毎日楽しそうに園に通ってくれる。
園であったことを、(何いってるかはさっぱりわからんけど)
たくさん楽しそうに話してくれる。
もうそれが全てです。


復職前の不安で仕方がなかったとき、
愛する美人女医かおりんが、
「とりあえず最低半年は頑張るとかラインを決めてさ。
そのタイミングで、
息子氏がしあわせそうじゃなかったり、
まいまいが何かおかしいと思ったら、
そのときは仕事やめるとかね、
何か自分の中でラインを決めておくといいよ。」
って言ってくれた。
前にもここで書いたけど、
その「最低のライン」を決めておくというのが
私には結構大きな意味のあることでした。


私はとにかく、
母親の直感で、
息子氏の笑顔が減った
家族の笑顔が減った
自分の余裕がなくなることで
息子氏につらくあたってしまった
そういうことを感じたら、
そのときはきちんと決断をしようと、
自分のラインを決めました。
そのときはきちんと、
家族のしあわせをみつめなおそうと。


そう決めたらとても楽になった。


で、結果的にうちの場合、
母親の目から見ても息子氏は、
毎日楽しそうに笑顔で過ごしてくれています。


お友達のお名前をいっぱい覚えて、
保育園以外の場所で会ってもほんとーうに嬉しそうにする。
先生たちは息子氏たちを全力でかわいがってくれる。
息子氏にとって「好きな人」が、
パパとママ以外にこんなにたくさんいるということが、
何より嬉しい。


私は息子氏が生まれる前から、
なんかたくさんの人でわいわいと愛情いっぱいに
息子氏を育てていけたらいいなと
漠然と思っていて、
それがうちの場合は、
保育園がきっとその場所やったんやなって思います。


お仕事の環境もとても恵まれていて、
理解ある職場のメンバーの支えがあって、
ほんとうに日々よい環境で仕事もできています。


私は、
結果的に今の環境にとても満足しています。
だからよくいう、
「保育園に預けてかわいそう」
とかいう言葉にも
(私はあんまり言われたことないけど。)
別に今は特に傷ついたりとかもない。
それは、
そう思う人もそりゃあいるだろうと思うから。
現に私だって保育園に預ける前は、
不安で仕方なかったんやから。


うちの場合は、
結果的に保育園に通うことができてよかった。
私は今心からそう思えるし、
だからそれを否定する言葉があったとしても、
それは立場の違う人の考えやから、
まあそれはそれだな、と思うわけです。
そう思う気持ちもわかるよ、
でもまあうちの場合はそうじゃなかったからね、
と思うわけです。


でもこれは、
何度もいうように、
うちの場合は。
ということです。
しかもものすごい、結果論です。


私はたまたま、
仕事を続けたいと思っている人間で、
たまたま、
息子氏はとても良い園にご縁があって、
たまたま、
楽しそうに通ってくれていて、
たまたま、
私は楽しくお仕事をしています。


これはほんと、
たった一つの家族の形です。


「保育園にこどもを預けるのがかわいそう」
という言葉が万人にあてはまるわけではないように、
「保育園にこどもを預けることはすばらしい」
というのも万人にあてはまるわけではないと思います。


ごはんをたくさん食べるようになった
言葉が増えた
トイレトレーニングが進んだ
これらが保育園に通うメリットではないと思うのは、
それはお父さんやお母さんが当然こどもに与えてあげられることだからです。
それと同じように、
私が今思う、
息子氏が保育園に通っていてよかったと思うこと、
息子氏が毎日楽しそうにしていること
お友達がたくさんできたこと
たくさんの「好きな人」ができたこと
いろんな人の愛情に囲まれていること
これだって、
保育園だから作れるというものではないと思っています。
うちの場合はそれがたまたま保育園であっただけで、
お父さんやお母さんやおじいちゃんやおばあちゃんにだって作れるものやと思う。
そもそもそれが子育てにとって大切やっていう価値観すら、
きっと様々なはず。
お母さんがなるべく長く子どもと一緒にいてあげるべきやって、
そういう価値観があったて当然やと思う。


結局その家族のしあわせは、
その家族にしかわからへんもの。
大切なのはそのしあわせを、
きちんと親が見極めてあげることなのかなと思います。


当然、
全てが思うようにうまくは進まへんことだってあると思う。
働きたくても仕事がみつからなかったり
働きたくなくても仕事をせざるをえなかったり
子どもが保育園になかなか馴染めなかったり
保育園に預けたいのに空きがなかったり
職場の理解がなかなかえられなかったり
もういろんな壁だってあると思う。
でもそのとき、
自分にとって、その家族にとってのしあわせを見極めて、
自分の「最低のライン」を決めておくこと。
そしてそれさえ決めたら
「とりあえずはやってみる」こと。
そしたらいつか、答えは出るんじゃないかなあと
思います。


やってみーひんことには
それが自分と家族のしあわせに合ってるかどうか
わからへもんねえ。
これが私が息子氏を保育園に預けて学んだ
一番おおきなことかもしれません。
(小学生かよ。)


とても長くなりましたが、
これが私が保育園について思うことです。


最後にいっておきますが、
息子氏が保育園に通っているのは、
担任の先生がいけめんだからではありませんほんと決してありません。


みなさん勉強は好きですか。
私はきらいです。
ええもう大嫌いです。
勉強、っていう響きをきいただけでじんましんが出そうになります。
いやそれは言い過ぎかもしれませんが、
とりあえず勉強って言葉がまず嫌いです。
だってこわいもんこわくないですかわたしはこわいです。


なんで私はこんなに勉強が嫌いなんやろうか。
多分に育った環境が影響してる気がする。
私が子どもの頃は、
周りに勉強が好きな人っていうのがいーひんかった。
勉強は嫌いで当たり前、みたいな感じやった。


たぶん時代的にも、
「お受験ママ」みたいなのが問題になっている頃で、
「勉強勉強ってこどもにおしつけるのはよくない!」
みたいな風潮があった気がする。
あれうちの周りだけ?


そんなわけで
勉強=子どもの嫌いなもの
っていう意識がすっかりできあがっていた気がする。
うん、おもいっきり環境のせいにしてみたけどね。
えへ。


まあでもこんなに勉強嫌いの私でも、
節目節目で一応勉強はしてきたわけです。
テスト前とか。受験前とか。
うん、それくらいなんやけど。


で、その勉強が、
今役にたっているかというともうすべてすっかり忘れたわけで。
自信を持って言えるけど、
数学とかもう何一つとして覚えてない。
うふ。


けどなんで私は大嫌いな勉強を、
節目のみとはいえ
(ほんと昔から一夜漬けタイプでしてええ。。。
もう中学校の頃からかわらん。。。)
一応やってみたわけで、
その中身はさておき、
「いざというときに大嫌いな机に向かうという行為をしてみたら
一応それなりの結果を出すことはできた」
という
何の役にも立ちそうにない自負みたいなものはできた。


で、これが生活のなんの役に立つかといえば、
旅行にでかける前日(というか当日)の
夜中0時にパッキングが終わってなくても、
「まあなんとかなるんじゃないかわたし」
という根拠のない自信が持てる、
というところですね。
まあなんてすばらしい。


とまあこれは冗談にしても
(怒らないでうん怒らないで。)
「根拠のない自信」ってもの自体はそこそこ大事だとは思っています。
いや良い子のみなさまはパッキングは計画的に。


オットは、
偉大なるお父さんに(お父さんがほんと人格者なんだうん。)
「8割の力を出せばいいから」
と言われて育ったそうです。


そのおかげで、
食器洗いの食器は2割残すし、
洗濯物たたんでもらっても2割はたたみ残すし、
ペットボトルの飲み物は2割残すしで、
その結果私にあらゆる2割負担がかかってイラっ☆っとすることしきりなんやけど、
親友しゅうちゃんが言うところの
オットのあの「強靭なメンタル」は、
この8割の法則によって培われたものやと
ツマは考えております。


オットいわく、
毎日2時3時まで仕事してて週末も出勤してるときでも、
基本的に2割の余力は残してるらしい。
そんじゃあ10割の力を使って早く帰ればいいじゃないかと思うんやけど、
どうもそういうことではないらしい。


って言ってもオットの仕事上、
企画書とかはもうちょーーーーーうーーーー細かいし、
私みたいなてきとうな人間にはまず作れへんような
1ミリのずれもない企画書とか作ってるんやけど、
それでもとにかくそれは本人いわく8割のものらしい。


たぶん8割っていうのは、
仕事のアウトプットということではなくて、
精神的な余裕という意味合いが大きいと思うんやけど、
この精神的な2割の余裕をのこしておくことで、
「まあ本気出したらもっとできるし♡」
っていう根拠のない自信につながってる気がするというのがオット談。
なんだそれただの言い訳じゃないかとも思うんやけれども。


結局それが、
「強靭なメンタル」につながってるわけで、
精神の安定っていうのはやっぱり大事じゃないですかものすごく。
仕事にしたって家族にしたって。


私が出産前、
営業の仕事でほんっといっぱいいっぱいでもうどうしようもなかったとき、
「いつも全力でやってると、
いざってときに力が出せないよ。
普段力を抜いてるからこそ、
いざってときに力を出せる」
というようなアドバイスをとある人からもらって
はっとしたことがあった。


オットは結局これをずっと続けてきてたわけです。


で、話を戻すと。


私もとにかく勉強は嫌いですが。
なんだかんだ環境のせいとかにしてみましたが基本的に勉強っていうのは才能なので私は勉強の才能がないわけですが。
(もう自慢げ。)
そんなわけで中学生の頃から今までで勉強っていうものに対して
8割どころか2割も向き合ってこなかったとは思うのですが。
でもこんな私でも人生で何度かは100%の力を出して勉強にのぞんだことがあるわけで。
なんだこれは究極の8割の法則じゃないか!
と気づきまして。
はー私勉強してこなくてよかった♡
と思ったのは嘘ですが(うそですよほんとにうそ)
なんかねやっぱり、
勉強に限らず人生において
力の抜き方を覚えておくことは
大切なのかもしれないなあと
思った次第であります。


こんなてきとう人間の私でも
それでも100%でいなきゃ、
フル稼働でいなきゃという考えに陥っちゃうことは結構よくあって。
でも長い目でみると、
それは自分にも周りにもハッピーじゃない。
だから知らず知らず自分がいっぱいいっぱいになってきたときは、
オットの8割の法則を思い出すようにしています。


でもペットボトルは最後まで飲むべきです。
まじで。


さむぎょぷさるの前にすばらしすぎたホテルのことをば。


今回泊まったのは
Park hyatt seoul


日本のパークハイアットと比べると、
かなりお安い料金で泊まることができました。
ソウルのパークハイアットは、日本にありがちな
つんとしたサービスじゃなくて笑、
みんなすごいあたたかいおもてなし。


あと大切なことをいっておくと、
今回であった韓国のイケメンは全員パークハイアットにいました。
まじで。


韓国のイケメンってなんで
あんなにスマートなサービスができるんやろう!!
妹子たちときゃっきゃ感動してしまった。


このパークハイアット、
あえて不便な点を挙げると、
まずミョンドン(一番の繁華街?)から結構遠い。
なので結局私たちはまさかのミョンドン行かずじまいでした。
ミョンドンでのお買い物をメインに考えると、
便利ではないかなー。


川の南側にあるので、
アックジョンとかカロスキルとか、
オサレエリアにはタクシーでわりとすぐに行けます。
(韓国のタクシーまじで安い!
三人で移動したら地下鉄とかわらへんので、
移動は全部タクシーでした。)


あともう一つ不便やったのが、
お部屋でのwi-fiが有料なこと!
1泊当たり2000円くらいかかったかな?
ロビーは無料のwi-fiが使えるのに、
お部屋ではなぜか有料。


ソウルって有料のところが多いのかなー。
日本のパークはお部屋でもたしか無料やった気がする。
なのでもし次にいくとしたら、
wi-fiルーター?みたいなものをレンタルしていこうと思いまする。


とはいえ!
そんなことも忘れてしまうくらい、
居心地もサービスもすばらしいホテルでした。


なんかエレベーターまでおされやし。
(パークのインテリアが好きすぎる。)


お部屋番号もおされ♡
廊下の雰囲気までおされでわくわくする。



リネン類もきもちい!ところでホテルってなんでやたらと枕があるんやろう。




1日目に買い込んだパックをこの椅子でお試しするのが至福の時間。
ホテルにはベッドのほかに座り心地のいいソファが絶対ほしい。




ミネラルウォーターは一人2本ずつ無料サービス。
お水大事。ほんと大事。
妹子がコーヒー入れてくれました。
(動かない姉。)



お風呂はガラス張りで夜景を見下ろしながら入れます♡
ここでもパック♡至福♡
固定シャワーと手持ち?のシャワーと両方あって便利。




アメニティはやっぱりイソップ。
香りがすきー。
裏面の成分表記はハングルでした。

あ、そういえば銀座にイソップの路面店ができてた。
行こうと思って忘れてる。



旅行はやっぱりホテル大事!
まあソウルのような街遊びがメインの旅行の場合は、
リゾートホテルほど色々こだわらんでもいいんやけどね。
3人以上で泊まるなら、
日本と比べるとあほみたいにお得なのでパークハイアットおすすめです。


はーまたいきたくなってきたーパークハイアット!