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はんなり時間

好きなものについて。
本と、京都と、食と、cafeと、海と、旅と、沖縄と、家族とかについて。



徹夜してますか。
私はしていま。。。した。
もうしょっちゅう。


中学生の頃から、
テストといえば一夜漬け。
大学の卒論は、
提出の2週間前に実家に帰り、
2週間実家に引きこもって昼夜逆転の生活を送りなんとか提出。
そうですそのスキルが今のこの旅行前日の徹夜パッキングにいかされているわけですね。
ホラーです。


友達とのオールは大好物。
夜中までの読書も大好物。
夜勤があった部署のときは、
自分のペースで仕事ができる夜勤が大好物。


そのかわり昔から、
「あなたの身体で何か一つ変えてあげましょう」
と言われたら、
身体のあらゆるパーツを美しくするよりも何よりもまず
「朝強い身体にしてください」
と答えようとずっと思っていました。
残念ながらそう言われたことは今まで一度もないわけやけど。


とにかくそれくらい、
夜は大好きで朝がちょう苦手やった。


もう高校生くらいから、
日付が変わる前にお布団に入ってたことって
数えるくらいしかなかったんじゃないかな。


それがここ数年で変わってきた。
転機はそうです妊娠です。
息子氏がおなかにいる頃から、
生活リズムががらりと変わったきがする。


まずですね。
私は安定期というかつわりが少し落ち着いたくらいから、
とにかく眠くて眠くて眠くて仕方がなかった。
普通臨月になると、
おなかが重たくて2~3時間ごとに目が覚めると言われています。
それは、出産してからの授乳のリズムに母体が慣れるためだと。
オンナのからだってのはほんとにすごいね。
よくできてるよね。


。。。と、言いたいんやけど、
いかんせん不良ニンプやったわたしは、
なぜか、
臨月に毎日10時間連続で寝てた。
というか10時間ねーへんかったら眠くて眠くてからだがもたへんかった。
こんなこと言ったらほかのニンプさんに申し訳なくてあんまり言えへんかったくらい、
わたしは連続睡眠をしていましたすみません。


産休に入ってからはほんとうにあほみたいにただただ寝てたんやけど、
お仕事がある時期はそうもいかず。
10時間とはいわなくても8時間はまじで寝ないと身体がもたなくなってたので、
朝仕事に間に合う時間に起きるために、
その頃初めて、23時睡眠というのを目安にベッドに入るようになりました。


これはもう私にとっては大変化です。
23時に寝るようにするなんて
徹夜大好物の私からするとものすごい変化。


でもそうするようにしてから、
格段に体調はよくなりました。
なんといっても朝が辛くなくなった。
朝がつらくないってこれは自分にとっては大変化。
それでもつわりらしきものはずっとあったんやけど、
生活にメリハリがついて、
精神的にすごく健康的になった。気がした。


なんか日本人は昔から
「徹夜は美学」みたいな考え方がなきにしもあらず、といった感じがします。
受験勉強といえば、
やっぱり徹夜で勉強しまくるイメージがあるし、
深夜までの残業っていうのは、
なんだかんだやりきった感がある。
あと徹夜のちょっとした不健康感みたいなのがちょっとかっこよかったりとか
なんだったりとかしませんか。
しーひんか。
もちろん本気で何かに取り組むときに、
たまに徹夜するのも悪くはないと思う。


でも生まれて初めて(は言い過ぎやけど)
23時睡眠という目安を作ってみたとき、
毎日ほんとうに楽しく健康に過ごせていたなあと思うのです。
睡眠ってきっと軽視しちゃいかんのだと思います。


身体に無理をかけていると、
それはじわじわじわじわと、
心の健康をおびやかしてくる。
これはもう絶対にそう。
だから自分の身体をいたわることは、
心の健康のために大切で、
それは結局周りのしあわせにもつながってくる。


だって健康でないと、
こども一人育てるのももうちょうちようあほみたいに大変なんやもん。
子育てはほんとに体力勝負。
身体が資本。
最近やっと本気で、
なにより大切なのは健康だ、
と理解できるようになりました。


当たり前のようでいて、
これをちゃんと理解するまで私はかなり時間がかかった気がする。


だからもう週末にゴシップガールのあらすじブログを読むのにはまって徹夜するのとかはほんとやめようと思います先週やったけど。


ただ、心の健康のために、
たまに徹夜で飲みまくるのとかだって大事やんね♡


つまりまぁ何がいいたいかというと
そろそろ本気で飲みにいきたい。
ということです。
ホラーですね。


いつか
時期がきたら
こいつのことを話そうと思っていたんでしたそうでした。
それはまさに今!
今なら吐かずにきっと話せる!


というわけで今日はつわりのお話。
えぇ、ホラーですね。


「出産するときはめちゃくちゃ痛い」
というのはこれは定説ですね。
男性だって知っている話。
実際は出産自体ではなくて陣痛がめちゃくちゃ痛いわけですが、
まぁどちらにしろ「お産には痛みがつきものだ」
ということはそれこそ小学生の頃から知っている話です。
だからまぁそれなりの覚悟もできています。
女ですから。


しかしです。
「つわりがきつい」
ということは、
出産をするまでの26年間、
誰も詳しく教えてくれへんかった。
そんなこと教科書にものってへんかった。


つわりって、
みんなで楽しく団欒してるときに急に「うっ」ってなって、
洗面所にかけこんで、
ハンカチで口元抑えながら鏡にうつる自分を見て、
「ま、まさか。。」
とつぶやくもの、
ってイメージがないですか私はそうでした。


言っておきましょうあんなのはうそですうそっぱちです信じちゃいけません。


つわりそれはじわじわじわじわあなたのもとにやってきます。
みんなで楽しく団欒なんてしてるひまはありません。
じわじわじわじわやってきて、
完全に支配された頃には自由な時間は一切ありません。


というわけでここから話すのはわたしのちょう個人的なつわりの記録です。
これはほんとうに個人差があるので、
(私がきいた感じではつわりはほとんどなかったっていう人の方が多い)
たった一つの体験談としてお読みください。


まずピークのときの私の状態を例えると。


ひっっっっっどい二日酔いの日に、
台風でめちゃくちゃ揺れる船に無理やり乗せられ、
二日酔いにプラスして船酔いでぼろぼろになっているところに、
空気の読めない先輩があらわれて無理やり日本酒イッキをさせられ、
吐いても吐いても気持ち悪いという状況に陥り、
もういい加減船をどこかにとめてほしいと言うも、
ここが一体どこなのかわからない、だからいつ船がとまるかわからないと言われ、
じゃあお医者さんにみてもらってなんでもいいからこの吐き気を止めるお薬を出してほしいと言うと、
これは病気じゃないから処方する薬はない、いつ船がとまるかはわからへんけど、遅くともも10ヶ月後にはおさまるからそれまで我慢してくれとへらへら笑いながら言われる。
といったものでした。


最悪です。


極悪です。


悪夢です。


私の場合はこのピーク状態が結局4ヶ月近く続きました。
風邪ひいたってせいぜい1週間で体調はよくなります。
昔結構大きな手術をして入院したときだって、
2週間たった頃にはもうぴんぴんしてた。
それが4ヶ月ですよ4ヶ月。
よく生きてたな。。。


つわりのとき、
だめになるものの代表作として
ご飯の炊けるにおい、
っていうのがありますが、
これはわたしももろダメでした。
というわけで4ヶ月間一度もご飯なんて炊いてません。


ほかにだめだったもの。
お出汁のにおい。(コンビニのおでんのにおいが最悪すぎた。)
シャンプーのにおい。
アルビオンの乳液のにおい。


というかもう、
料理という行為を想像するだけで吐けたので、
シンクをみた瞬間トイレに直行とかしてました。
あとお風呂も最悪で、
あの湯気っていうものが私を殺そうとしてるとしか思えなくて、
毎日泣きながらシャワー浴びてた。
あーそうそうあと、
歯磨き粉の味っていうのもこれまた殺人的で、
朝の歯磨きした味が口の中に残っていて、
それがあまりにも気持ち悪くて、
出社途中の公園で吐いてしまったってこともありましたすみませんでした。
お休みの日はまっっっっったくベッドから起き上がることができず、
mixiでサンシャイン牧場(やったっけ?)ばっかりやってた。
たぶん私今あの画面見たら吐くわ。
つわりの思い出しかない。


そしてつわり中だめだったものとは。
なんと
オット。


わからん。
なんでかわからんのやけど、
オットに近づかれると気持ち悪くて気持ち悪くてしょうがなくて泣きそうやった。


オットが近づこうもんなら
もうすごい剣幕で
「近寄らんといて!!!!!!!!」
ってつっぱねてた。
しまいにはオットがただいまーって玄関をあけた瞬間、
吐いた。
ひどくない?
ひどいよね。
ほんとひどい。


ベッドが揺れると気持ち悪いから、
とにかくやたらでかいベッドを買って、
オットを端っこに追いやって寝てた。
ああほんとひどい。
ホラーだ。


私はその頃本気で、
無事に出産できたら将来
「つわり外来」をつくろうと思ってた。
つわりコンサルタントでもつわりマネージャーでもなんでもいいから
とにかくつわりと戦う施設を作ろうと。
だってつわりって、
原因がわかってないんやってさ!
世のお医者さんはいったい何をしてるんだと怒りにふるえたよ私は!
つわりの原因くらいつきとめてよ!
そんでこの吐き気まじでなんとかして!!!!!!!!
と、なんかもうわけわからん考えに至るほどに
私は病んでいました。
いや、病気じゃないんやけどね。つわり。
健診で私が涙ながらにどれほどつわりがきついか伝えても
「うん、でも病気じゃないから耐えるしかないんです(はーと)」
って返されるだけやったんやけどねうん。。。。。。。


そんな日々でしたが、
そんなもはやゾンビみたいに毎日ふらふらと生活している私に、
思いやりなんてものはかけらもなかったと思う。
ほんと4ヶ月一度もキッチンに立てへんかった上に、
オットつわりで
オットにはとげとげしい態度ばっかりとってたし。


そんな状況やったので、
もちろん精神的にも参ってくるわけで、
つわり初期の頃、
もうなにもかもが中途半端な気がして
オットに泣きついたことがありました。
(近寄るなというくせに自分からは泣きつく)


まだ初期で、
職場にはまだきちんと妊娠を伝えられなかった頃。
それでもつわりがひどくて仕事に集中できなくて、
でも職場には言えへんから、
おなかのベビコにも無理をして悪い事をしてる気がして。
なんか自分が、
仕事も赤ちゃんのことも両方中途半端で
すごい辛くなったことがありました。


そのときオットが、
「まいちゃんは中途半端なんじゃないよ。
両方がんばってるから、
ベビコはちゃんと育っていってくれてるし、
職場に言わなくても仕事をこなすことができてるんだよ。
中途半端なんじゃなくて両方がんばってるんだよ。
でももうそろそろ、自分に優しくしてあげてもいいと思う。
職場の人に相談していいんじゃないかな。
それに、うちの会社をみていて思うけど、
妊娠と出産を経験した女性はすごい仕事ができるよ。」
みたいなことを言ってくれた。


こちとらオットの顔を見ただけで吐くようなツマやのに!
どうですこの模範解答!!!
そうなんですたまにいいこと言うんですオットってばうっうっ。


それからきちんと職場に報告もできて、
そのときはほんとに周りに恵まれていて、
男性だらけのチームやったのにほんとにみんなものすごーーーーーく気遣ってくれて
(というかあまりに私がゾンビやからだいたいばれてた)
いや、だからといってつわりはきつかったけどそれでも、
ちゃんと産休まで仕事を続けることができた。


あのとき
オットの一言と
周りのあったかさがなければ
私はもっとなんかもうぼろぼろになっていたかもしれない。


十月十日、
息子氏をお腹で育てたのは私なんやけど、
その期間私はほんっっっとうにたくさんの人に支えてもらったし、
息子氏はそうやってたくさんの人の支えがあってうまれてきたんやなぁと
改めて思う秋の夜長。


これだけこれだけつらいつわりがあっても、
それでもまたいつか子どもはほしいと思う。
それでもまた生みたいと思う。
それは私が周りにとても恵まれてたニンプやったからやろうなぁ。
そしてどれだけつわりがきつくても、
やっぱり目の前の息子氏はもうあほみたいにかわいい。
あの頃はわからへんかったけど、
今は、
こんだけかわいい生き物に会うためならつわりも仕方ないと思う。


まぁそれでもわたしはつわりのことは今でも許してないですけどねうん。


もし二人目を生むとしたら
そのときはぜひつわりのない生活を送ってみたいと心から思います。
つわりのかみさまよろしくおねがいします。


我が家の長男はもちろん息子氏なのですが、
そのはずなのですが、
しかし我が家には実はもう一人息子がいるのです。
29歳の息子が。。。!!


というわけで今日は29歳長男のお話。


こないだ出産後にしばらく書いていた日記を読み返していたら、
息子氏生後二ヶ月くらいのところで、
息子氏はかわいすぎるけど28歳(当時)長男はなんで息子氏が泣いてる隣でケータイでゲームできるんやろう(怒)
と言った旨のことがつらつらと書かれていた。


いやーこれ産後二ヶ月の非常にめんどくさい状態のツマの前では絶対にしちゃいけないよね♡
と、思いながら読んでたんやけど、
それにしてもそんなことがあったなんてすっかり忘れていた。


うちの長男(29)は、
自分のことと家事はなっかなかできませんが、
下の子(1)の面倒はよく見てくれる。
と、思ってた。
この一年三ヶ月、育児はよく頑張ってくれたなぁと。


何度も言いますが、
産後二ヶ月のめんどくさい状態のツマの前で、
泣いてる赤子をほったらかして(というかそれをあやすのはツマの役目と思い込んで)
ゲームをするっていうのはもはや自殺行為です自殺行為。


それに対する私の怒りはきっとただものじゃなかったはずなんやけど、
そしてそれは基本的にはネガティブなことは書かへんようにしているはずの日記に書かれてるくらい、
相当のものやったらしいんやけど、
いやはや覚えてない。
まったく覚えてない。


これはどういうことかと考えてみると。


うちの長男(29)ならびに私(そして夫婦の関係)が、この一年間でしっかり成長したということではなかろうか。
うっやだ泣ける。


よく言われるように、
ママはニンプ期間がある分、パパより早く、親になる実感がわくと。
一年かけてパパは、ゆっくりパパの実感がわいてきたのかもしれない。


そしてなによりも、
ここ最近、
息子氏がちゃんとコミュニケーションみたいなものをとれるようになってきて、
そのかわいさはパパ心をかなり刺激してるんやと思う。
だってほんまにかわいいもん(あほ)


オットは根っこはものすごく優しい人やと思うけど、
とはいえ九州男児の血が騒ぐからかなんなのか、
根本的には家事はしたくない、
やってくれる人がいるなら全力で甘えたい、
と思ってるふしがある。
というかそう自分でも言ってた。


まぁそんなことを世界一わがままツマの私が聞き入れるわけはないので、
あれやってこれやってと頼んでしまってるわけやけど
そしてまぁ結構頼ってるわけなんやけど(うふ)
それでも根本的な価値観っていうのはなかなか変わらへんよなぁそりゃぁ、
とよく思う。


けど一方で、
育児に関してはぜんぜんツマがやるべきみたいな価値観は持ってないな、
とものすごくかんじる。
何より息子氏との時間を、全力で楽しんでるなぁ、
と思う。
うん、最近は。
(寝かしつけ以外は。)


よくよく思い出してみるとたしかに、
最初はそんなことなかった。
ケータイ事件みたいなことが
ほんとしょっちゅう勃発した。


それが、
毎朝の息子氏のお風呂は、
今やどれだけ寝坊してもほとんど絶対文句言わずいれてくれるようになったし(これはほんと助かる)
朝ごはんを食べさせるときに、
私が何も言わなくても自分から息子氏に食べさせてくれることが増えた。
息子氏が泣いてるときにすぐ私にバトンタッチすることもかなり減った。


私がなにかを言ったわけじゃなくて、
(いや言ったかしれへんけどうん♡)
オットがそういう風に少しずつ変わってきてくれた。
ひとえに息子氏があまりにかわいいからやとは思うんやけれども。。(あほ)


例えばオットとけんかしたとき、
「この人はなんでこんなこともしてくれへんねんやろう」
っていう思いがおっきくなって
「なんでこんな人なんやろう!」って思ってしまう。
でも、
それってオットの全てというわけじゃないんやんね。
小さな一つの欠点なんて、
少しずつ少しずつ、
変化してゆく。
そうして夫婦はちゃんと成長していく。


いかんせん九州男児のオットは、
良いことアピールがものすごく苦手。
ジェントルマンちっくなことがものすごく苦手。
イクメンなんて言葉は全力で否定したがると思う。


でもいやほんとうに根っこはとても優しい人やから
息子氏と向き合う中で
どんどんいいパパに成長していってるんやな。
最初から完璧なパパもママも夫婦も家族もいーひんもんね。
少しずつ少しずつ、
成長していくんやもんね。


ということに気づいた台風の夜。


なんでこんなことを書いたかというと、
今朝長男(29)が、
ワッフル焼くよと私が言ってるにも関わらず、
「うまかっちゃんが食べたい」とのたまい、
私に「ワッフル焼くって言ってるやん」と言い返され、
結局ふて寝してお昼一時すぎまで起きてきーひんかったことを
私が寝に持ってるから
というわけでは決してありません。
あらホラーですね。



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村上春樹が、
「旅なんていくもんじゃない。
ろくなことがない。
ものはなくすし奥さんとはケンカするし。
でもなぜか僕らはまた旅に出てしまうのだ。
(注:かなり意訳)」


といったようなことを言っていたような気がするのですが
(違ったらすみません)
まったくもってその通りだと思います。


私がかつて旅に出てなくしたものといえば。
サングラス
カーディガン
ショール
免税店で買ったばかりのコスメ
アンティークのコート(真冬にタイに言ってもちろん現地では一切使わずそのまま置き忘れた)
そして恋。(?)


ろくなことがない。
まったくろくなことがない。


それでも私は時間があればすぐひょいひょいどこかへいってしまうのです。
子どもが生まれたんやからさすがにもうあんまりいかへんやろうと思いきや。
仕事がお休みやったことをいいことに
結局ほいほいどこかへ行っていました。


何度も言いますがろくなことはない。
ハワイの半月でわたしはいったい何回オットとけんかしたことか。


でも、なんで行ってしまうんやろう。
こんなに旅が好きなんやろう。


どうしても仏像群がみたくて
スコータイへ行ったりとか
アンコール遺跡がみたくて
シェムリアップへ行ったりとか
そういうのはまぁまだわかる。


でももはや別に目的なんてなくても、
青春18切符でひたすら北を目指してどこまでいけるかやってみるとか
なんの予定もまったくないのに急に宮古島へいってただ海でぼーっとするとか
当日思いついて鄙びた温泉宿を目指すとか
それだけでもいい。
そんな不毛そうなことをすすんでしてしまう。


なんでなのかなぁ。
そんな生産性のないことがこんなに好きなのかなぁって考えてみて。
一言でいうと、
旅情を感じる瞬間が
とてもとてもとても好きなんやと思う。


宮古島でいつもお世話になるひでさんが、
「宮古島にはなーんにもないから、
ここに来て何かが変わるってわけでは全くないけど、
なんにもしない贅沢だけはあるからまたおいで」
っていっつも言ってくれる。
東京にいるとほんとに便利で楽しいことはいっぱいあって刺激もたくさんあるけど、
何もせずに、
ただ何かを感じる
って時間はなかなかない。


なんにもないところに
意味も目的もなく立ってみて
そこで感じる旅情が、
東京で受けている刺激とは全く違う意味で
私にとっては新鮮なんやと思う。


それを感じたところで
ほんとになにかが変わるわけではぜんぜんなくて
むしろその代償はかなりでかいんやけど
(恋をなくしたりとかさ)
でも
私にはもはやそれが必要なんやろうな。
人生のメリハリのようなものなのかもしれませぬ。


ということを書いていると今日もまたあーーーーー宮古島行きたい。
と言うはめになります。
あーーーーー宮古島行きたい。

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こないだ雑誌で読んだインタビュー記事で、YOUさんが、
「袖と男にはしばられたくないの(笑)」
と言っていて、
ほぉぉぉぉと思った。
ちなみに前号のnumeroなんですがこの記事ほんと面白かったからYOUさん好きな人はおすすめです。


そんなわけでYOUさんは、
袖のある洋服を買ったときは袖をハサミで切っちゃうらしい。
袖がきらいなんやって。


私は昔からかわいい女の子がもう大好きで
街ゆく女の子をみてはうはうはしていたのですが、
そのとき見てるのはほとんど顔オンリーでした。
とにかくかわいい顔した女の子が好きやった。
男子か。


わたし自分の体型には
ほんっとうに無頓着で、
ダイエットすらほとんどしたことがないというか食欲に勝てないというかなんというか
まぁ一言でいうとダメなんですが、
そんなんやったばっかりに、
「きれいなからだつき」というものが
どういうものなのか、
よくわかっていなかった気がする。
足が長い、とか、
胸が大きい、とか、
わかりやすいものでないとわからへんかった。


でも最近は、
街ゆくきれいな人の
スタイルに目がいきます。
細いとかじゃかなくて、
健康的な体つきで、
とくに二の腕と鎖骨がきれいなひと。
ほどよく筋肉がついた二の腕。
いいなぁきれいだなぁ


ノースリーブのお洋服って
やっぱり腕が露わになる分、
下手すると下品になってしまいがちやと思う。
それを堂々と着こなすためには、
やっぱりほどよく鍛えられた二の腕があるといいよね。
(と、自分のぷにぷにの二の腕を見ながら思う。)


オンナを27年間やってると、
顔なんてお化粧でなんとでもなるのだということを知るようになるので
(でもお化粧にしろきれいになる努力はステキやと思うよ。)
ごまかしのきかへん、
ほどよく鍛えられた二の腕をもつ女の人っていうのに
憧れる今日この頃です。
そしたらいつか
「袖と男にはしばられたくないの♡」とか言えるようになるかもしれへん!
(ならへん。)
ちなみにYOUさんの二の腕がタイプです。はーと。


ところでそういえば私は束縛する男の人というものに出会ったことがないんやけど、
もちろんオットもしてこーへんのやけど、
いや性格的に束縛なんてされたらぜったいぜったい無理やとは思うんやけど、
ちょっとくらい心配してくれてもいいんじゃないかとはちょっと思うよねうん。
わざとだよ?(←言いたかっただけ)



成人式から7年が過ぎました。
7年て。7年て。
と、思ったんやけど、
この7年の間に私は結婚して一児の母になった。
すごいな時間って。


というわけで50音blog「せ」は「成人式」。


私の生まれ育った町はとても田舎で、
小さな中学校が一つしかありません。
ので、成人式は必然的に同窓会状態となります。
中学の担任の先生とかも来てくれる。


何度も言いますが私の生まれ育った町はとても田舎で、
田舎の定義といいますと、
コンビニまで徒歩30分
コンビニの駐車場がやたら広い
コンビニの入り口にヤンキー
同級生にヤンキー
道を歩けばヤンキーにあたる
ええ、ヤンキー。


というわけで、
まあヤンキーです。(なに)


だからそんな町の成人式なんて荒れるかと思いきや。
そう思いきや。
荒れないんだよこれが。
いい成人式やったなあ。


私たちは大切な同級生を高1のときに亡くしていて、
成人式が終わってからみんなでお墓参りへいきました。
車を運転してくれたのは、
亡くなった同級生の親友Kくん。
やんちゃやったKくんが、
そのときは立派なパパになっていて、
かわいいかわいい赤ちゃんも一緒にきてた。
チャイルドシートに乗ってた赤ちゃんを、
別の友達があやしていて、
それ見てたらもう泣きそうになったよ。
立派になってうっうっ。
感無量。
ちなみにK君は私が中学一年生のときに初めておつきあいをした人です。
きゃっ。


しかも、
慣れない振り袖を着たわたしたちのために、
車のドアをあけたり、
おりるときに手をかしてくれたり、
不器用になんやけど色々と気をつかってくれて、
おばちゃんほんとに感動した。
おうちに帰ってそれをおかーさんに話したら、
おかーさんが泣いたもんね。
「なんやのんKくん立派になって
うっうっ。
まいちゃんの学年は、
まあたしかにものすごいやんちゃやったけど、
根がとても優しいもんね。
うっうっ。
川のむこう側からおかーさん見つけても、
おばちゃんこんにちはー!って挨拶してくれるねん。
金髪やのに。
うっうっ。」って。


そうやねんなあ、
みんなほんとうに、根がやさしい。
ヤンキーやったとしても根がやさしい。


何度も言いますが私が生まれ育った町はとても田舎で、
道行く人はみんな知り合いで、
デートでもしようものなら近所中の噂になるし、
思春期の私は窮屈で仕方なかった。


小さな中学校にはひと学年に3クラスしかなくて、
おかーさんは私の同級生の顔と名前をほとんど知っていたし、
私も同級生のおかーさんの顔はほとんど知ってた。


でも、そんなとこやから、
私のおかーさんのお通夜とお葬式には、
私の同級生がいっぱい来て泣いてくれた。
同級生のおかーさんたちもたくさん参列してくれた。
それで、
「まいちゃん、辛いけどな、
なんかあったらおばちゃん頼っておいでや。
なんでもいいや。」
って言ってくれた。


窮屈やと思ってたけど
私はこうやって
たくさんのおかあさんに見守られてたんやって思った。


おかーさんが亡くなってからしばらくたった日、
Kくんが事故で亡くなった。
ほんまにほんまにあほかと思ったんやけど、
いやほんまにあほなんやけど、
親友のところへ行って、
そこには私のおかーさんもいて、
みんなで見守っていてねと
そう祈った。


そのとき、
別の同級生のおかーさんから、
「まいちゃん、
Kくんのお葬式に弔電送ってくれてありがとうな。
ほんまにありがとう。」
って電話がきた。
Kくんのおかーさんじゃないのに、
私にありがとうって電話をくれた。
あーこの町では、
ほんとうにみんながみんなのおかーさんなんや。
今でもそうなんや。
みんなが見守ってくれてて、
だからみんな
根っこが優しく育ったんやなあって
そう思った。


私は地元の高校へは行かず、
私立の女子校へ行って、
大学で東京へ出てきて、
そのまま東京で就職した。


そうして進学や就職のたびに世界は広がると思いがちやけど、
もちろんそれはその通りなんやけど、
でも、
進学校を出て
大学へいって、
就職をすると、
周りにはやっぱり同じ環境で育った人が多くなってくる。
もちろん同じ環境で育ってきた友人も
とてもとても大切なんやけど、
私にとって、
あの小さな町で
たくさんのおかーさんたちに見守られて一緒に育った、
ヤンキーやったりなんやったりとかもした、
色んな仕事についている個性豊かな友達が
今もとても大切です。


今でも東京に台風がきたり地震があったり大きな事件があったりすると、
同級生のお母さんから、
「まいちゃん大丈夫か!?」
ってメールがくる。
そうして今も私は、
あの町のおかーさんたちに見守られてる。
いつまでたってもきっと
子どものままなんやろうな。


何度も言いますが、
私が生まれ育った町はとても田舎です。
道を歩けばヤンキーさんに当たり
そこらじゅうに知り合いがいて
私が同級生の誰と付き合っただとか
どこの高校へいくらしいとか
東京の大学へいくらしいとか
そんなうわさがあっというまに広がる窮屈な田舎です。
でもたくさんのお母さんに囲まれたその田舎が
わたしは大好きです。
もう戻ることはないかもしれないけれど、
それでもあの場所があるから、
私は離れたところでも頑張れるんやと今でも本気で思っています。


みんないっつもありがとう。


成人式のときに掘り起こしたタイムカプセルに入ってた、
たぶんクラス替えがあった直後に
みんなで書いたクラスの目標かなんか。↓

$はんなり時間


一歳を過ぎてから、
息子氏はほんっっっとうによくお熱を出します。
うちの場合、保育園へ通ったからというより、
ほんとに一歳を越えたあたりから急にしょっちゅうお熱を出すようになった。


まだ保育園に通ってないときからその調子やったから、
母乳の免疫がきれてきたってことなのかなぁと思っています。


一歳までは一度もお熱ださへんかったのになー。


そんなわけで、
なにかしら病気をすると
お薬を飲ませるわけですが、
一歳児にお薬を飲ませるっていうのはこれは至難の技です。
というか、
そもそも普段からご飯をぜんぜん食べてくれへん上に病気でさらに食欲が落ちているうちの離乳食芸人に
お薬を飲ませるというのは、
この一歳三ヶ月の母親人生の中で困難なことのかなり上位に入ります。


ある日息子氏がまたお熱を出して病院へ連れていって、
抗生剤のお薬をもらいました。


いつものお薬やとヨーグルトに盛る、っていうのがうちの定番やったのですが、
そのお薬は酸味のあるものと混ぜると苦くなっちゃうから、
ヨーグルトとかとは混ぜないでね、とのこと。
アイスとかが甘くて冷たくて食べやすいよ、と。


なので私は張り切って、
帰り道にアイスを買って帰りました。
息子氏はたまにアイスをあげると大喜びで食べるので、
アイスにお薬を盛る作戦はかなり有効に思えたわけです。


が。
お薬を盛ったアイスを一口食べた瞬間。
息子氏大号泣。


なにごと!
いったいなにごと!


と思いアイスを見てみると、
そこには
「爽 三種の果実入りヨーグルト味」
と書かれているではありませんか。


酸味!それ酸味!!


奇跡のコラボレーションを果たしたそのお薬アイスを一口食べて見たら、まぁ苦いのなんのなんなのあれ!
ぶるぶるっと震えたね!


ばかわたしのばか。
自分がちょっと爽三種の果実入りヨーグルト味を食べたがったがばっかりにこんな苦いものを我が子に食べさせるなんて!!


自分の食い意地を反省いたしまして、
明日こそちゃんと息子氏に上手にお薬を盛ろうくっくっくというわけで、
オットに、
「息子氏にお薬と混ぜて食べさせるから、
バニラアイス買ってきて!」とメール。
「了解!」という返信を確認してわたしは先に寝ました。


翌朝。
今度こそ上手にお薬を盛るぞという決意を新たに、
冷凍庫からオットに買ってきてもらったバニラアイスを取り出そうとしたそのとき!!
ツマが目にしたものとは!!



冷凍庫で偉そうに横たわるスイカバー。



バニラアイスちゃうし棒にささってるしだいたいスイカてまた酸味やし!!!


スイカバーにお薬盛るのはあまりに至難の技すぎる。


というか間違いなくこれはオットが食べたかったものに違いない。


なんて似たもの夫婦なんだろう。
やだラブラブ!


というわけで今日はホラーではなくてみんな大好きで恋バナでした。(はーと)


まぁ冗談はさておき
(冗談ですよ。)
オットとは性格も価値観もなんなら選挙のとき投票する人も毎回ぜんぜんまったく違いますが、
こんなところが似てしまうもんやから夫婦っておもしろい。
いやおもしろくない。
これでは息子氏があまりに不憫すぎる。


というわけでどなたか、
子どもにお薬を上手に飲ませる方法の前に、
オットにバニラアイスを上手に買ってきてもらう方法を教えてください。




朝から幕張のコストコへ行って、
船橋のIKEAに移動して
帰ってきてから
近所の盆踊りへゆき、
河原へ移動して隅田川の花火をちょこっとみてきました。
こうやって書くとなんてフルコース。
連日お仕事で疲れてるオットも頑張ってくれた!ありがとう!
はー楽しかった!


ちなみに最近コストコで買うのは、
大量のお水(500ml×36本で800円ちょっと。)
サンペレグリノ(ペリエより好き!)
息子氏のカーターズのお洋服
鶏もも肉(2キロで700円弱)
といったあたりが定番。
あとは冷蔵庫、冷凍庫と相談しながら、
プルコギとかベーグルとかマフィンとかチーズとか。
ちなみにプルコギは小分けして冷凍しておくと、
晩ごはんを作る気力のないときに便利。


あとは、
ジップロック(袋も容器も)が安い。
カークランドのゴミ袋(ひもでしばれる)がちょう便利。
マリメッコのペーパーナプキンがお得でかわいい。
ビタントニオのワッフルメーカーが安い!←とうとうゲットした。


と、たまには主婦情報!
ちなみに今日はコストコで、
ボールプールのボールがとても安くて。
プールないのにボールだけほしくなって買いかけた。
あぶないあぶない。


コストコいけば行くほど楽しくなるね。
買う定番が決まってくると、
ほかのもの見る余裕が出てくるから、
さらに楽しくなってしまってさあ大変。
はー楽しい。


息子氏がうまれてから、
週末がうんと楽しくなった。
最近はもう、水曜日くらいから、
何しよう何しようって
わくわくする。


仕事をしていると、
週末=仕事がない日、
って感じやったけど、
今はとにかく、
週末=家族揃って遊べる日。


結婚する前は、
お休みが不規則な部署にいたから、
オットとお休みが合えば遊ぶ、
合わない日は一人で過ごす、
という感じで、それはそれでバランスがとれて
すごい楽しかった。


今は、
お休みになったらできるだけ家族の時間をとる、
って無意識に思うようになってる気がする。
(まあオットが仕事やったりなんだったりで
実際一日過ごせるのは土日のどちらかだけのことが多いけど)
これはこれで、
家族なんやなあって感じがして心地よいです。
予定に縛られたりするのきらいやったはずなんやけどなあ。
一人の時間ないとむり!とか言ってたのになあ。
気づけば一年間、
一人の時間なんてほとんどなく過ごしてたなー。


今日近所の夏祭りへ行ったとき、
去年は首もまだちゃんとは座っていなくて、
スリングから出すのも心許なくてずーっと抱っこしていた息子氏は、
今年はえらそうにベビーカーに座り、
私のお好み焼きバーをほとんど全部奪い取り、
立っちで、盆踊りの曲にあわせて拍手したり身体を揺らしたりしてリズムをとり、
それはそれは楽しそうにずっと笑ってた。


きっと来年は、
去年はまだ歩けなくてずっと立っちでゆらゆらゆれていたのに、
今年はこんな走り回って。。
とか言っちゃったりとかするんやろうな。


息子氏がうまれてきてくれたことで、
こんなふうに同じ夏祭りで、
成長と嬉しい変化を毎年感じていける。


そういうのをできるだけ家族で見守っていたいなぁと思うから、
週末の家族時間が今はとても大切です。


まぁ当の本人はひとしきり遊んだあとはずっとミス中央区を目で追ってたけどね。
パパとまったくおんなじ顔して。
あーこれは来年も変わらずやってる気がするな。。
そんで将来毛むくじゃらになってもやってる気がするな。。。


photo:01




うちの三姉妹について。
私には二個ずつ離れた妹が二人います。
が、生まれてこの方、
「お姉ちゃん」と呼ばれたことは一度もありません。
両親が、
「お姉ちゃんなんやからこれしなさい、あれしなさい」
ということを絶対に言わないでおこう、
と決めていたらしく、
ほんとに一度も言われた覚えはないのですが、
その結果、
このようなてきとうでふざけた長女ができあがったので、
子育てちゅうのみなさまはぜひお気をつけください。


まぁそんなわけでわたしは三姉妹の長女です。
mixi全盛期で始めた頃、ダメ長女というコミュニティに真っ先に入ったくらいにダメ長女です。
どれくらいダメかというと、
大学進学のため上京する前日、
パッキングがとにかくめんどくさくて、
やらずにだらだらしてたら、
「もうまいちゃんいいかげんにして!
荷造りくらいちゃんとして!」と、
怒った妹子たちがすべてパッキングをやってくれた、
というくらいにダメ長女です。
いいですかみなさんぜひ子育ては慎重にお願いします。


そんな私ですが、
三姉妹でほんとうに良かったなぁと、
心底思ったのは、
まぁ上京前日のパッキングもそうなんですが、
おかーさんの病気が分かってからのことです。


おかーさんの病気がわかって、
おかーさんが亡くなるまで、
たった四ヶ月ちょっとのあいだ。
それから、そのあとのこの四年半の間。


おかーさんの病気を知らされたとき、
私は東京で一人仕事をしていて、
なんとも心細かった。
おかーさんが入院してからは、
毎週末京都に帰ったけど、
それは、家のことをするためでもなんでもなく、
自分が心細かったからやと思う。


回復する病気しかみたことのなかった私は、
どんなに辛い風邪をひいても、
最悪のときを乗り越えたら、
あとはただよくなっていくものだと、
それしか知らなかった私は、
治らない病気を目にしたとき、
その日々の絶望感とたたかうのに必死やった。


先週会ったときにできていたことができなくなる。
先週会ったときよりも抱えた腕が細くなる。
成長してゆく命しか見た事がなかったから、
消えようとしている命を目の当たりにすることは
もうただの絶望でしかなくて
気持ちのもっていきどころがなかった。


こわくてこわくてこわくて仕方がなかった。
その頃は電話がなるたびに悪い知らせかと思ってびくびくしてた。
きっと、おかーさんが亡くなってからの毎日よりも、
あのときの毎日のほうが辛かった。
「その日」を待つ日々っていうのは、
たぶん「その日」を迎えたあとの日々よりも辛い。


でも、ほんとうに辛くて、
どうしようもなかったけど、
私自身が体調を崩したり、
心を壊したりせずにすんだのは、
それはもう、
わたしに妹たちがいたからです。


おかーさんが入院してから、
おかーさんの病室で三姉妹で話してるとき、
誰一人として泣いたりしーひんかった。
いつも、いつも笑ってた。
そこには、うそみたいやけど、ちゃんと希望があった。
絶望でしかない毎日やったのに、
そのとき私はちゃんと希望みたいなものを感じてた。


私は最後まで、
もうおかーさんの病気が完全になおって、
家族で今までみたいに過ごすことはできひんかもしれへん。
でももしかしたらちょっと退院して、
一泊だけ温泉にいけたりするんじゃないかな、
と思ってた。
そうでも思わへんかったらやってられへんかったのもあるけど、
それは、
あの病室に、家族が集まった病室に、
なんでか希望のようなものがいっぱいつまってたからやと思う。


おかーさんが病室で、
「パジャマがほしいんやけど、あーく(まんなか妹子)のセンスちょっとこわいから
まいちゃんとなーな(末っ子妹子)でさがしてきて」
とか言い出して、
なにそれひどいって大笑いして、
京都駅で末っ子妹子と一緒に大量のパジャマを買ったんやけど、
まさかの前開きじゃなくて、
結局ぜんぜんつかえへんかったりとか、
お父さんにコンビニで歯ブラシとか買ってきてもらったんやけど、
なんか今ひとつ男の人って気が利かへんからもっかいまいちゃんたちで買ってきてとか、
なんかまあおかんが最高潮にただのわがままやったんやけど、
それをきいて笑いながら
毎日過ごすのが、
ほんとうに、楽しかった。


あーそうやなあ、
おかーさんはどんどん弱っていって
私のしらないおかーさんになっていったと思ってたけど
そうやってなんかへんなところ女子やったり
実はちょっとわがままやったり
ユーモアを忘れへんかったり
そういうのは変わらへんかったなあ。
自分は最後まできっと自分なんやな。


その頃のおとーさんは、
おかーさんの前では気丈といえば気丈にふるまってはいたけど、
まあほんと男の人っていうのは弱いので
結局自分も体調崩して、
おかーさんと一緒の病院に入院した。
しかもおかーさんにばれたら心配かけるからとかいって、
入院してたことはおかーさんに隠して、
病室にいくときはわざわざ着替えて行ったりしてたんやけど、
そっこうでおかーさんにばれてた。
ひどい。


そんなんやったので、
ここは自分たちがしっかりしようとそれなりに思った娘たちは、
というか私をのぞく妹子ふたりは、
ほんとうによく頑張ってくれた。


もし妹子たちと一緒に、
笑い合う時間がなければ、
私だってすぐにくたばってたやろうと思う。
それはきっと、お父さんだって一緒やったと思う。
若い(そのときは若かったんですよええ)
女子三人が作り出す明るさっていうのは
結構すごいもんやなあと今になって思う。
あの日々は本当に絶望でしかなかったのに、
病室はとてもとても明るかった。
たくさん笑った。


おかーさんが亡くなってから、
ばたばたとお通夜とお葬式の準備をする中で、
そういえば喪服がないじゃないかと気づいて、
三姉妹で買いに行った。
そんなときでも
女の子ってね
喪服の試着をして
どれがいいかなあって悩むんだよ。
それ妹子っぽいねって言いながら笑って選んだ。
あのときほんとうに
あー三姉妹でよかったと思った。
一人で、おかーさんのお通夜のための喪服なんて
買いにいけへんよ。
あのときちゃんと喪服を選んだから
お通夜とお葬式で
私たちはしゃんと立っていられたんやと思う。
そう思う。


喪主の挨拶で
おとーさんが、
おかーさんが残してくれた娘三人が
最高のたからものです
というようなことを言ってくれた。
わたしは、
おとーさんとおかーさんに、
三人をうんでくれてありがとう、って
心から思った。
おかーさんに感謝してることはたくさんあるけど、
それが一番かもしれない。
この家族にうまれてよかった。


私もいつか、
息子氏がこの家族でよかったなぁと思える、
そんな家庭を築いていきたいなぁ。
でも息子氏けむくじゃらになるのかなぁ。。。
困った。。。

50音blog「こ」は「こども」。


最近息子氏は、お名前をよぶと、
はいっと手を上げる。
あちゃー!というと、
両手を顔にあてて「あちゃー!」とい格好をする。
「むーすこしかーわうぃー!」というと、
両手を胸にあててツイストするダンスを披露してくれる。←ちゃらい。


去年の今ごろは、
まだ寝返りもできなかったのに!
ソファに寝転がしておいても
全然危険じゃなかったのに。
いつのまにかソファには自分で登り降りするようになって、
どや顔でたっちもするようになって、
期待させつつあんよはなかなか上達しーひんけど笑、
それでもすっかり赤ちゃんじゃなくて子どもになった。


子どもの一年の成長っていうのはものすごい。
大人はなんにも変わらへんのに、
子どもはその環境からあらゆるものをぐんぐん吸い込んで、
あっというまに成長してゆく。


昨日、私のママのお友達と、そのこどもたちと遊んだんやけど、
お友達の息子くん(もうすぐ一歳半になるのかな)が、
車のおもちゃが大好きで、
車がたくさん載ってる絵本をみて、
「わぁぁぁっ!うきゃーーー!」と、
ものすごいテンションで喜んでた。
翻訳するとおそらく、
「うきょーーーー!これおれの好きなブルドーザー!
なんてなんてかっこいいの!
ブルドーザーかっこよすぎまじ最高
ブルドーザーーーーー!」
というところかと思われます。
※というかブルドーザーじゃなくてもっと難解な車やった気もするんやけど
あかん全然覚えられへん。


それをみていて、
もうなんかじーんときてしまった。
そのお友達はいつからかな、生後半年くらいからずっと遊んでいて、
最初はもちろんお座りだってできなくて寝転がっていて、
ママ同士で子どもたちをみて、
かわいいねぇかわいいねぇと言っていたのに、
今はその子ども自身が
自分の手で何かをつかんで自分で感動してる。


すごいなぁ子どもの成長はほんとうに早い。
と、いうことと、
絵本をめくってブルドーザーが出てきたというただそれだけのことに、
ほんとにほんとに嬉しそうに喜べるこどもの無垢な気持ちに、
おばちゃん感動。


「子どもは素直でいいねぇ!
私最近こんなテンション高く喜んでたことあったかな」
って言ったら、
友達が、
「子どもが初めて立ったとか、
初めて一歩を踏み出したとかくらいだねぇ。」と言っていて、
ほほうなるほど!
と、一人で納得した。


こどもたちはその小さなからだで、
身の回りのものをぐんぐん吸い込んで、
大人から見ると取るに足らないようなことに感動して成長してゆく。
大人たちは、そうして成長する子どもたちをみて、
たまに泣いちゃうくらい感動させられる。


世の中といふものはうまくできてるよなぁ。
大人と子どもはでも、
ちゃんと与え合って生きてるんやなぁ。
としみじみ思った夏の終わり。
だから子どもにこどもだましなんてものは通用しーひんし、
子どもともちゃんとまっすぐ向き合っていこう、
と、改めて思いました。


そういったわけで、
今日も離乳食を食べへん我が子に真正面から振り回される母ちゃんであります。
うっうっうっ。